元号が令和になって2日目。
風薫る青空の元、最愛の祖母が旅立ちました。
大正、昭和、平成、令和を経て、享年百歳の大往生でした。

数年前から養護施設にお世話になっていましたが、ここ数日の容体が思わしくなく、
いつ何かあってもおかしくない状況でした。
晩年まで受け答えもしっかりしていて、ボケることもなく、ユーモアあふれるかわいらしい祖母でした。
施設の職員さんと冗談を交わしたり、孫ほどの親しい職員さんの愚痴の相手にもなってくれていたようで、皆さんに愛されて過ごしました。
亡くなる数日前に見舞ったときは、喉が詰まってきて嚥下機能が低下し、
ガーゼに含んだ数滴の水を飲み下すことも難しい状況でした。
それでも意識はしっかりしていて、見舞った私たち一人一人と会話をしようと、おぼつかない口元のかわりに、一生懸命手振り身振りで伝えようとしてくれました。
細胞のひとつひとつ、体の機能が尽きる最後の最後まで、精一杯生きる尊い姿を示してくれた祖母の生き様に、人間って凄いなぁと深く深く感動しました。

祖母がこの世界を離れるのは時間の問題だということは、私の子供達も悟ってたようでした。
特に長男は、祖父が他界するのと入れ違いで生まれたので、人の死に接するのは初めてなので、ちょっと戸惑いもあるようでした。
ちょうど、桜の満開のころ。
そして、今までにない10連休という長いお休みの時期を選んでの旅立ち。
親戚も遠方よりみんな集まることができて、静かに見送られてゆきました。

理容師である妹が祖母の顔をそり、お化粧を私が施しました。
とても穏やかな、綺麗なお顔です。冷たいだけで・・・・
そのあと個人を拭き清め、旅立ちの装束を身にまとう湯灌(ゆかん)の儀式が執り行われました。
男性の係の方が行ってくれるというので少々抵抗がありましたが、その所作や立ち居振る舞い、静かで落ち着いた声のトーンに心を奪われていきました。

係の男性の施す一挙手一投足が、とても的確かつ繊細で無駄がなく、むしろ芸術的でもあり、心の中で「素晴らしい!」と叫んでしまいました。
折にふれ、祖母の髪の毛を指先で丁寧になで整えてくれるのですが、それは故人への尊厳にあふれ、また愛情のこもったものであり涙がこぼれました。
何より大切に祖母を扱ってくれているしぐさは、誰の目にも明らかで、その静寂で尊い儀式に感動さえ覚え、自分の思いをその男性に投影しているようで、皆静かに泣いていました。
前列で見ていた長男は誰よりも肩をふるわせ嗚咽し、初めての人の死に深く心を揺り動かされていました。
その様子を後ろから見ていた私は、「しめしめ」と思いました。
三途の川を無事に渡れるように、お金(に変わるもの)を入れたり、
道の途中で転ばないように杖を入れたり、草履を履かせてさらに予備の草履を腰にすえたり・・・・という準備は、向こうの世界に行くのにほんとうは必要はないと思っていましたので、半ば滑稽にも見えたりもしました。
でもこの儀式は、故人が無事にあの世に行けるようにするため、というより、残された私たちに対しての、安心感と覚悟を自発的に促すセレモニーとしてあるのではないかと思いました。
遺族の悲しみの気持ちに区切りをつけ、故人の冥福を祈り、光へと送り出す気持ちへの転換の儀式だと思いました。

しかし私は、祖母が亡くなって悲しみというよりも、祝福を感じました。
祖母はとても信仰心が篤く、日蓮を慕って身延山まで行って祈願し、また地元のお寺に檀家として身を尽くした人でした。
元気だった時は毎朝仏壇に向かってのおつとめを欠かさず、長々とお経をあげるのが日課でした。
私も以前から祖母の無事を祈ったりしていましたが、亡くなる数日前から、祖母を思い浮かべると光でまぶしくて、祖母の顔をイメージすることができなくなりました。
なにやら、祖母の周りにいろんな祝福の存在たちがたくさんいて、魂の帰る準備をしているように感じました。
そして、亡くなる数日前に見たイメージは、祖母が白い衣を着て白い布を頭から被っている観音様の姿でした。
穏やかに満ちたりて、静かに微笑みをたたえたお顔でした。
前に仏画を描いてことがあったので、こんな観音様見たことあるなぁ〜とネットで探して見たら、それは白衣観音でした。

(画像はお借りしました)
魂が肉体を離れ、すぐにまっすぐに昇っていき、魂の仲間たち、天使たち、神々に迎えられ、祝福で賑やかな様子です。
最後の最後、極限まで生ききったことへの、称賛と祝福の宴です。
そんなイメージでした。

こちらの田舎では、八十を超えた長寿の人が亡くなると、ミズキの木にお菓子やお酒・ジュースなどを歳の数だけ吊るす風習があります。
弔問に訪れた方々へのお返しの品として、帰るときに好きな品を持っていってもらい、長寿にあやかるのだそうです。
でも、今はあまり見ることがなくなってきたようですが、盛大に飾り付けしました。
(写真はまだ途中段階です。)
クリスマスツリーとも違う、お菓子やお酒の飾り付けに、大人も子供も顔がほころびました。

お骨は、骨がもろくなっていたためあまり残りませんでしたが、喉仏の存在だけはしっかりと在ったので、みんなでびっくりしました。
喉仏はくっきりと形が残り、遠目から見ても仏様が座して手を合わせているような形に見えました。
信仰する心がそうさせたのでしょうか。
みんな、あらためて祖母の偉業に感動しました。

(喉仏の骨のイメージです)
すべてが爽やかな青空のもと、滞りなく進行し、無事に終えることができました。
最後も苦しむことがなく、穏やかに眠るようにいき、つくづく、祖母の人徳に深く感銘を受けました。
こうして初七日を過ぎ、遺品を整理しながら改めて文章にすることで、初めて客観的に感じることができています。
そして、今になってむくむくと喪失感が出て来たので、戸惑う自分がおります。
お坊さんの法話、「人は生まれ滅する」
その言葉が身にしみるこの頃です。

☆
さて!
お知らせです。
銀座のギャラリーSTAGE-1にて、「お伽の国の物語」展に絵画、イラストを出展しております。
昔の作品、今回の為に書き下ろした作品合わせて7点、展示販売させていただいております。



他にもたくさんの方の作品が見られます。
お近くにいらした方は、ぜひ、お立ち寄りいただけると幸いです。(*^^*)
では、
最後まで長々とお読みくださり、ありがとうございました。
風薫る青空の元、最愛の祖母が旅立ちました。
大正、昭和、平成、令和を経て、享年百歳の大往生でした。

数年前から養護施設にお世話になっていましたが、ここ数日の容体が思わしくなく、
いつ何かあってもおかしくない状況でした。
晩年まで受け答えもしっかりしていて、ボケることもなく、ユーモアあふれるかわいらしい祖母でした。
施設の職員さんと冗談を交わしたり、孫ほどの親しい職員さんの愚痴の相手にもなってくれていたようで、皆さんに愛されて過ごしました。
亡くなる数日前に見舞ったときは、喉が詰まってきて嚥下機能が低下し、
ガーゼに含んだ数滴の水を飲み下すことも難しい状況でした。
それでも意識はしっかりしていて、見舞った私たち一人一人と会話をしようと、おぼつかない口元のかわりに、一生懸命手振り身振りで伝えようとしてくれました。
細胞のひとつひとつ、体の機能が尽きる最後の最後まで、精一杯生きる尊い姿を示してくれた祖母の生き様に、人間って凄いなぁと深く深く感動しました。

祖母がこの世界を離れるのは時間の問題だということは、私の子供達も悟ってたようでした。
特に長男は、祖父が他界するのと入れ違いで生まれたので、人の死に接するのは初めてなので、ちょっと戸惑いもあるようでした。
ちょうど、桜の満開のころ。
そして、今までにない10連休という長いお休みの時期を選んでの旅立ち。
親戚も遠方よりみんな集まることができて、静かに見送られてゆきました。

理容師である妹が祖母の顔をそり、お化粧を私が施しました。
とても穏やかな、綺麗なお顔です。冷たいだけで・・・・
そのあと個人を拭き清め、旅立ちの装束を身にまとう湯灌(ゆかん)の儀式が執り行われました。
男性の係の方が行ってくれるというので少々抵抗がありましたが、その所作や立ち居振る舞い、静かで落ち着いた声のトーンに心を奪われていきました。

係の男性の施す一挙手一投足が、とても的確かつ繊細で無駄がなく、むしろ芸術的でもあり、心の中で「素晴らしい!」と叫んでしまいました。
折にふれ、祖母の髪の毛を指先で丁寧になで整えてくれるのですが、それは故人への尊厳にあふれ、また愛情のこもったものであり涙がこぼれました。
何より大切に祖母を扱ってくれているしぐさは、誰の目にも明らかで、その静寂で尊い儀式に感動さえ覚え、自分の思いをその男性に投影しているようで、皆静かに泣いていました。
前列で見ていた長男は誰よりも肩をふるわせ嗚咽し、初めての人の死に深く心を揺り動かされていました。
その様子を後ろから見ていた私は、「しめしめ」と思いました。
三途の川を無事に渡れるように、お金(に変わるもの)を入れたり、
道の途中で転ばないように杖を入れたり、草履を履かせてさらに予備の草履を腰にすえたり・・・・という準備は、向こうの世界に行くのにほんとうは必要はないと思っていましたので、半ば滑稽にも見えたりもしました。
でもこの儀式は、故人が無事にあの世に行けるようにするため、というより、残された私たちに対しての、安心感と覚悟を自発的に促すセレモニーとしてあるのではないかと思いました。
遺族の悲しみの気持ちに区切りをつけ、故人の冥福を祈り、光へと送り出す気持ちへの転換の儀式だと思いました。

しかし私は、祖母が亡くなって悲しみというよりも、祝福を感じました。
祖母はとても信仰心が篤く、日蓮を慕って身延山まで行って祈願し、また地元のお寺に檀家として身を尽くした人でした。
元気だった時は毎朝仏壇に向かってのおつとめを欠かさず、長々とお経をあげるのが日課でした。
私も以前から祖母の無事を祈ったりしていましたが、亡くなる数日前から、祖母を思い浮かべると光でまぶしくて、祖母の顔をイメージすることができなくなりました。
なにやら、祖母の周りにいろんな祝福の存在たちがたくさんいて、魂の帰る準備をしているように感じました。
そして、亡くなる数日前に見たイメージは、祖母が白い衣を着て白い布を頭から被っている観音様の姿でした。
穏やかに満ちたりて、静かに微笑みをたたえたお顔でした。
前に仏画を描いてことがあったので、こんな観音様見たことあるなぁ〜とネットで探して見たら、それは白衣観音でした。

(画像はお借りしました)
魂が肉体を離れ、すぐにまっすぐに昇っていき、魂の仲間たち、天使たち、神々に迎えられ、祝福で賑やかな様子です。
最後の最後、極限まで生ききったことへの、称賛と祝福の宴です。
そんなイメージでした。

こちらの田舎では、八十を超えた長寿の人が亡くなると、ミズキの木にお菓子やお酒・ジュースなどを歳の数だけ吊るす風習があります。
弔問に訪れた方々へのお返しの品として、帰るときに好きな品を持っていってもらい、長寿にあやかるのだそうです。
でも、今はあまり見ることがなくなってきたようですが、盛大に飾り付けしました。
(写真はまだ途中段階です。)
クリスマスツリーとも違う、お菓子やお酒の飾り付けに、大人も子供も顔がほころびました。

お骨は、骨がもろくなっていたためあまり残りませんでしたが、喉仏の存在だけはしっかりと在ったので、みんなでびっくりしました。
喉仏はくっきりと形が残り、遠目から見ても仏様が座して手を合わせているような形に見えました。
信仰する心がそうさせたのでしょうか。
みんな、あらためて祖母の偉業に感動しました。

(喉仏の骨のイメージです)
すべてが爽やかな青空のもと、滞りなく進行し、無事に終えることができました。
最後も苦しむことがなく、穏やかに眠るようにいき、つくづく、祖母の人徳に深く感銘を受けました。
こうして初七日を過ぎ、遺品を整理しながら改めて文章にすることで、初めて客観的に感じることができています。
そして、今になってむくむくと喪失感が出て来たので、戸惑う自分がおります。
お坊さんの法話、「人は生まれ滅する」
その言葉が身にしみるこの頃です。

☆
さて!
お知らせです。
銀座のギャラリーSTAGE-1にて、「お伽の国の物語」展に絵画、イラストを出展しております。
昔の作品、今回の為に書き下ろした作品合わせて7点、展示販売させていただいております。



他にもたくさんの方の作品が見られます。
お近くにいらした方は、ぜひ、お立ち寄りいただけると幸いです。(*^^*)
では、
最後まで長々とお読みくださり、ありがとうございました。