また月が変わり、11月に。

 

いつのまにこんなに季節が進んだのだろう。。

 

 

 

 

素晴らしい 秋晴れだなー

image

 

今年は、例年にも増して

時間の経過に対して

 

 

自分の意識がゆがんでる、というか、

追いついていないというか。

 

 

 

 

 

 

意識を向けるべき事とか

 

意識を向けておきたい事、

 

ふと意識を向けてしまう事が

常に何かしらあって、

 

 

 

 

その事に

自分のパワーを使い過ぎてるかもしれない、

あまり良くない意味で。

 

 

 

 

 

 

前ほどブログを書きたいとは

思わなくなった今、

 

それでもこうしてふと

つらつらと書きたくなるのは

 

 

 

文章を書く事で

心の使い方をリセットしたいという

衝動なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

最近よく思う、

 

 

 

”自分の想いや意識を

ないがしろにしてはいけない”

 

 

って。

 

 

 

 

 

想いや意識は

そのまま、パワーになるから。

 

 

エネルギーとして、

空間に生まれてるものだから。

 

 

 

その瞬間、 

”影響力”を持つから。

 

 

 

(精神領域→物質世界に

影響が及ぶまでには

タイムラグがあるけど。)

 

 

 

 

 

 

だから、ある意味、意識とは、

とても責任をもって取り扱わなければ

いけない種のものなんだ

という意味で、

 

 

”ないがしろにしてはいけない”

と、思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

私の中に生まれる

どんな想いも、

 

ちゃんと拾って、感じて、

行動してあげないとなって。

 

 

 


 

ただふと

ブログを書きたくなったから、書く。

 

そんなささいな行動だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春馬くんへの想いも、もちろん。

 

 

 

3か月半前とは全然違う意味で

とてもじゃないけど、心を着地させる事は

出来ない状況だけど。

 

 

 

 

彼や、彼の状況に対して

生まれる想いは

自分の中でちゃんと

拾い、感じていかないと

いけないと思ってる。

 

 

 


本当に、、

この世界はどうしようもない世界だ

としか思えない、それを再認識した様な

時期もあったけど

 

 

 

 

 

それでも、

そのどうしようもない世界に

生きてる自分を

自覚しないと何も始まらないし、

 

 

 

 

知る事から逃げちゃだめって事は

もうずっと思い知らされてる事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、

 

自分が素晴らしい世界に

存在してるという真実も在るという事。

 

 

そこからも逃げちゃいけなくて。

 

 

 

 

 

エゴの視点からすると

 

双方はとても

矛盾している事なのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

「知るという事。その力。」

 

 

それは春馬くんが生と死をもって

 

遺してくれた大きなメッセージの

一つだって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。今日は

 

家族で鬼滅の刃を観に行きます。

 

大阪都構想の住民投票の日でもあります。

 

 

 

 

鬼滅の刃は娘に借りて

コミックスを1度読んだだけ、

少しアニメを観ただけの

予備知識だけど

 

 

 

映画になってる部分がコミックスで

とても印象に残ったエピソードの

部分だったので、娘に誘われた時、

観に行こうと思いました。

 

 



「意識」とか「無意識」とか。

けっこう深い、そんな事が

テーマだったような。

 

 

 

 

 

 

 

 

日常はこうやって、

 

 

自分の中に

いろんな風を吹き込みながら

 

 

渦をまきながら

淡々と進んでいく。

 

 

 

 

 

その中での

「意識」の在り方、使い方が

私の日々のテーマだし、

 

 



そうやって日々を過ごしていく事が



生きるっていう事

なのかもしれないとも思う。