昨日書いた、

 

「神さまはベストな事をくれる」

 

という事について、、 右矢印ウサギ

 


昨年 私が仕事で朝ドタバタして

 

うさちゃんを見送れなかった事とか、

 

うさぎちゃんの容態の事を 把握できてなかった事とか、

 

いったい何かどうベストなんだという話ですが。。

 

 

 

 

私は未熟な飼い主でしたが、

 

うさぎちゃんを迎え入れる時には

 

もちろん 本やネットで飼育の事をたくさん勉強しましたし、

 

その後も、成長するにつれて、情報もどんどん更新していました。

 

 

 

それでも、不思議と出会えなかったから、

 

知り得なかったのです、

 

あの日の容態の危険性に関する  情報に。

 

 

 

情報収集の中で、

 

その情報に出会っていても

 

おかしくないのに。

 

知ったのは、亡くなってからでした。

 

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仕事の日だったという事について・・・

 


うさちゃんが天に還った その翌日からは

 

特に予定の無い、 週末を含めた3連休が控えていた、

 

というスケジュールになっていたのです。

 

 

だからもう、 翌日から 思う存分、

 

仕事の事も何も気にせず、

 

3日間、泣き続けました。

 

 

ただただ、うさちゃんを 偲び、弔う時間を 

 

過ごす事が出来ました。

 


そして、週末だったので、主人も会社を休む事なく

 

葬儀を 執り行なう事ができました。

 

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・・・そういう事から、

 

うさちゃんが 「その日」 を選んで旅立ったんだって

 

思えてなりませんでした。

 

本当に不思議でした。。

 

 

 

昨年の そういう事を思い出すと、

 

「何がベストか」


なんて、

 

自分の狭い視野では  計れない様に思えたのです。

 

 


私が 「これがベスト」 だと 思う事って

 

天に還った本人の うさちゃんにとっては?

 

さらに、天の視野や意思まで 引き上げると どうなんだろう?

 


神さまが この出来事を  このタイミングで

 

起こした意図は 何だろう?

 


・・・・と、意識のパラドックスが起こりました。

 

 

 

うさちゃんを天に還す日、 私が仕事で

 

意識を うさちゃん一人に 向けてあげなれないまま

 

一人で天に旅立たせてしまった状況が ベストだったとしたら

 

それは、 誰にとって、 何がどう ベストなんだろう?

 

 


と、 「私」 を超えて  感じてみると

 

「私」 を超えた 感覚からの 「理由」 が見えてくる。

 

 


容態の危険性の事も、

 

知る方がベストだった情報なら、 

 

報収集の中で、

 

知り得ていたはずなのです。。

 

 


知らなくて良い事、

 

知らない方が ベストな事ならば、

 

天は  私に  知らせるタイミングを

 

与えない・・・

 

 

 

自分を信頼して生きる  とは

 

そういう事を信頼して生きる、

 

という事かもしれない。

 

 

 


だから、私だけの視野と

 

良し悪しのジャッジで

 

自分を責め、後悔しなくてもいい、、

 

 

すべては、神の計画の中で

 

ベストタイミングで 起こったこと・・・

 

 


・・・そういうメッセージの  エネルギーを

 

この1年、折に触れて 感じていました。

 

 

 

でも、意識がそれを 受け入れる事が出来ず、

 

自分を否定して、責めて、後悔して、

 

最悪感を感じていました。

 

 


それが、1年経って

 

やっと 少し 受け入れる事が出来る様になってきたかな。。

 

というところです。

 

 

 

 

完全に、感情解放の為のブログになっています。。

 


それなのに、読んでくださってありがとうございます。。

 

 

ブログを書く事での 感情開放は、

 

読んでくださる方が 居てくださるからこそ。

 

受け取って くださるからこそ。

 

 

その事を、すごく 実感しています。。

 

 

本当に、ありがとうございますキラキラキラキラ

 

 

 

昨日、命日の日、

 

導かれて かわいいうさぎさんに 会ってきました

 

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また別の記事で 書くと思いますキラキラ