高速を平均時速90㎞で飛ばして90分。
(極力110㎞を越えない努力をしてみた)
京都府北部地域の実家へ♪
夫の転勤と(車通勤から電車通勤に変わった)
私の転職と
息子のひとり暮らしと
かなり慌ただしい3月末から4月初旬を
何とかやりこなしホッと一息
本来なら来週にしようと思ってた帰省を
虫の知らせかわからないけど
帰省するなら来週じゃなく今週・・・
明日(すなわち今日)だ‼
と思い立ち行動に移しました。
野暮用の内容は
先月の退職時に頂いた
あいみょん&back numberのアルバムを
弟と姪っ子に貸すためという
至って野暮な用事でございますが
姪っ子はback numberの特典のステッカーも
狙ってますので持参してあげました
ステッカーは私は要らなくて
ショップ店員に
ステッカー要りませんわって伝えたところ
こっちを見もせず
勿論、目を合わす事もせず
ご自身で処分して下さい
と言われ袋に同封されたのですが
思わぬところで役立ってます♪
姪っ子に喜んでもらえて叔母はluckyです
早く学校から帰ってこんかな
思い立った割りに
私の叔母とランチに行けました♪
京都府北部の海沿いに米軍基地がありマス。
私の実家から車で40分ほどの海岸ですが
そこで働く人達の住宅が
実家から徒歩圏内にありす。
そちらの住宅圏内にあるカフェに
叔母と行くことができました


米軍さんにうけるような食べ物や
米軍さんが満足できるような分量になってて
ハンバーガーなんて食べきれた試しがなくて
いつしか
ナイフ&フォーク&取り皿がついてくるように(笑)
シェアして丁度です。
ざるそばをツルッといきたかった私ですが
叔母のたっての希望で
そのカフェにしました。
写真を撮るどころじゃない事になり
写真は1枚もございません。
カランコロ~ン♪←ノスタルジーな音色
いらっしゃいませ~
2名様、あちらのお席へどうぞ~♪
叔母のかかりつけクリニックの受付さんがいて
叔母はしばし話し込む←田舎あるあるです。
3名いらして
叔母と顔見知りは55才くらい。
その横の人は私くらい。
私に背を向けてる人は明らか小綺麗な老婆様。
叔母がひとしきり話終えて着席して
とりとめのない時間が過ぎて・・・
込み合う時間は過ぎてたけど
米軍さんたちがプラーと数名入ってきて
お店がにぎやかになりました。
叔母がトイレに立ち、さきほど背を向けていた
小綺麗な老婆様がよく見えるよえになり
その老婆様が横を向いた瞬間にビビッ‼
あれっ?
その声で老婆様が私の方をみました。
正面からまともに見た瞬間に
確信に変わりました。
○○さん・・・?
小綺麗な老婆様戸惑い顔で頷かれる。
やっぱり‼
こういちくんのお母さん‼
小綺麗な老婆様、怪訝な顔で私をみる。
○○です←名乗る
あっこちゃん‼
はい、あっこです‼
こういちの
同級生にお会いしても
誰が誰かわからないけど
あっこちゃんは
目に特徴あるからわかった‼
的な事を
この時すでに泣きながら申されました。
こういちくんは14才を待たず
13才と10ヶ月でスキー事故で逝去した
9年間を共に過ごした幼馴染みです。
小さな地域にたまたま同学年の仲間とし
生まれ落ちた私たち28名は
保育園~小学卒業までの9年間
ずっと同じ空間で過ごしてきました。
今から思えばスピリチュアル要素があったが故に
しんどい幼少期を過ごしていた私にとって
こういちくんは
【この子も一風かわった子】として
写っておりまして
また、きっと、こういちくんも
【あっことは同じ匂いがする】
と感じてくれてる気配がありまして
互いに確認こそしなかったけど
授業に集中できない体質で
先生に注意を受けたのは事実です。
決定的に違ったのは
こういちくんは、滅茶苦茶賢い。
頭脳明晰で運動もできて・・・
とっても理屈っぽくて
子供らしからぬ子供でした。
だからか?
女の子からの人気はありませんでしたが
男の子からの人気は絶大でした。
こういちくんを嫌いじゃないと言う女子は
私くらいじゃなかったかしら?
小学5年くらいから
女の子からも人気が出てきて
チッ(。・ε・。)と思ったのを覚えてます。
中学になったらクラスが一気に増えて
10クラスもあるマンモス学校になりました。
それでも
こういちくんは
学年トップクラスの頭脳明晰ぶりを発揮して
将来は医者になるのだと言ってると有名で
関係ないのに何故か私まで鼻高々で
(一緒に叱られた仲間としての連帯感)
廊下ですれ違うとハイタッチしたりして
楽しく過ごしてる矢先の
突然の逝去でしたので
小さな田舎町の小さな地域には
とても大きな衝撃が走りました。
物心ついた時からいつも傍にいた28名。
1名でも欠けると
こんなにも心に穴があくのか‼
というのを14才になったばかりの私は
大粒の涙と共に嫌というほど味わいました。
同時に
お母さんの悲痛な叫び声、
お母さんが棺にすがる姿、
今でも思い出すと自然と涙が溢れる光景。
大人になってから集まると必ず
その時の話にもなるし
(全員でお葬式に参列しました)
必ず、彼の話も出てきます。
私達が覚えてるよ。
私達がいつまでも覚えてるよ。
私達の記憶の中のこういちくんは少年。
でも思い出すときは
私達も少年少女なんだよ。
おっちゃん、おばちゃんじゃないんだよ。
色んな思いが
小綺麗な老婆様になって目の前に現れた
お母さんの前で走馬灯のように巡って
さめざめと涙を流す老婆様にむかい
私達28人は永遠です‼
今でも
こういちくんは
私達の中で生きてます‼
と
まるで28名の代表がごとく叫んでいました。
老婆様のお連れの私くらいの年齢の人が
嗚咽を始めたので私はギョッとしたのですが
こういちくんのお姉さんでした。
【あっこちゃん、ありがとう(つд;*)】
私も弟を四年前に亡くしてる話をし
そこから叔母もトイレから戻っており
話しに加わり
嗚咽大会の始まりでした。
理由はどうであれ
弟を亡くす姉の気持ちは同じです。
弟の同級生が私達遺族に言いました。
僕たちがずっと覚えてます‼
きっと
こんな再会をするために
今回の野暮な用事があったのだと思います。
来週じゃなく今週にして
ざるそばの気分を押し殺し
気乗りのしないカフェに来た事にも
ちゃんと意味がありました。
こういちくんのお母さんの泣く様は
今年の夏に
あの子の33回忌をするのよ
笑っちゃうでしょ
という一言で
33年たってもまだ受け入れられないのよ
と言ってるようで哀しかったけど
泣きながらお棺に追いすがる悲壮な情景は
薄らぎました。
色んな話をしたけど
私の息子の話もしました。
生きてたら46才だものね・・・
二十歳のお子さんいても当然よね・・・
もう、私の中では
いつまでも
あっこちゃんも
小学生のままなの・・・
孫息子がいま24才なんだけど14才までは
こういちの面影を見れて嬉しかったけど
それ以降は全く想像できないの・・・
これはきっと一生忘れないフレーズとして
私の中に残ると思います。
哀しみを抱えて老婆になって
優しい笑顔の携える事のできる
仏様のような人になったなと思いました。
若い頃のお母さんは
どこか冷たい感じのする美人さんでした。
お家も当時
はやりたてのセキスイハイムでした。
日本家屋の建ち並ぶ地域に目立ちました。
そして
とても羨ましいなと思っておりました。
今でこそ弟が洋風の実家に建て直したけど
ザ・日本というお家で育ちましたので(笑)
土間もあり
オクドサンもありましたが何か?