最近、
「わたし」という感覚が
少しづつ減っているんだけど、


それに比例するかのように、
執着とかコントロール欲も減ってるのを
感覚でわかる。


で、今朝、
わたしがずーっと探していたのは
安心安全を感じられる人や場所
だったのだと、急にわかった。


その
安心安全の象徴が
お母さんだったから、


お母さんが亡くなる事に
あんなに抵抗して、恐怖を感じて、
エゴに飲み込まれたのだとわかった。


絶対に嫌で(抵抗)
とにかくお母さんに生きて欲しくて(執着)


それって、
わたしの世界の安心安全が崩壊する
恐怖に耐えられないと思ってたからだ。


お母さんが、
お父さんが、
お金が、
仕事が、
友達が、
仲間が、


安心安全を提供してくれる人や
場所だと信じて疑っていなかったんだ。


なのに、


世界は怖いし、敵だらけ、
何が起こるかわからない場所
だとも思ってたから、


わたしは、
小さい頃から結婚願望もなく、
人生の半分以上を実家で暮らしてた。


「ここ」は世界一、安心安全な場所。
お父さんもお母さんもいる。


ここ以外で生きるとか怖すぎる。
お父さんとお母さん以外の人を信じるなんて
怖すぎて無理。


そうやって、
ものすごく狭い世界で
わたしは生きてたんだなぁと気づいた。








だからと言って、

過去の自分を責めるつもりもなくて

「そっか」って感じで。




そりゃあ、

他人との間に分厚い壁を造るよね。

と、妙に納得した。



あとさ、

「ある」も「ない」もどっちでもいいって言うか。



とにかく

この2~3年は、

「ない」に振り切ってたからさ、

なんかもう飽きたよね笑い泣き←



そんなに

自分を悲劇のヒロインにしたいのか、と。



でもさ、

それもたぶん、



他人との間に分厚い壁を

自らせっせと造ってたからかもなぁって

何となく思った。



抵抗とか

執着とか

他人との間の壁とか

コントロールとかってさ、



疲れる真顔



もうあまりにも疲れたからさ、

いらねって思ったよねぇ。



悩むとか

考えるとか

怯えるとかさ

もう飽きたわ、ガチで笑い泣き



なんか、

「自分」「わたし」という感覚が

薄くなるほど、すっごい楽だからさ、



もう、

これでいいと思う。



もしかすると、

何よりも執着してたのは、



この「わたし」という意識?

感覚?だったのかもしれないね。



でも、

そんなのいらんわ笑い泣き



この先、仮に、

今までとは全く別人のような

言動になったとしても、



もう、

それでいい真顔って感じ。



エゴ的な「わたし」は居なくなっても

その奥にいる「本質のわたし」みたいなのが

ひょっこりと顔を出してくるのを確信してる。




つまりさ、

ずーっと探していた「安心安全」は、

外側じゃなくて内側にあった事が

数々の経験によって、やっとわかったし、



内側にある「安心安全」は、

どこにいても、何をしていても

絶対になくならないやつだった。



そんなわたしの今日の楽しみは

3週間ぶりにVIVANTが放送されること。

です目がハート←




公式Xからお借りしました

 



三浦明美