渡来人は四国に多かった?ゲノムが明かす日本人ルーツ(6/23)
私たち日本人は、縄文人の子孫が大陸から来た渡来人と混血することで生まれた。
現代人のゲノム(全遺伝情報)を解析したところ、47都道府県で縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率が異なることがわかった。弥生時代に起こった混血の痕跡は今も残っているようだ。
東京大学の大橋順教授らは、ヤフーが2020年まで実施していた遺伝子検査サービスに集まったデータのうち、許諾の得られたものを解析した。
1都道府県あたり50人のデータを解析したところ、沖縄県で縄文人由来のゲノム成分比率が非常に高く、逆に渡来人由来のゲノム成分が最も高かったのは滋賀県だった。
【古代イスラエルの遺跡】淡路島・徳島の旅(8)(2015/12/27)
沖縄県の次に縄文人由来のゲノム成分が高かったのは九州や東北だ。一方、渡来人由来のゲノム成分が高かったのは近畿と北陸、四国だった。
特に四国は島全体で渡来人由来の比率が高い。なお、北海道は今回のデータにアイヌの人々が含まれておらず、関東の各県と近い比率だった。
百済観音像 5か月ぶり法隆寺に(2020/7/15)
以上の結果は、渡来人が朝鮮半島経由で九州北部に上陸したとする一般的な考え方とは一見食い違うように思える。上陸地点である九州北部よりも、列島中央部の近畿などの方が渡来人由来の成分が高いからだ。
大橋教授は「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と話す。
近年の遺伝学や考古学の成果から、縄文人の子孫と渡来人の混血は数百~1000年ほどかけてゆっくりと進んだとみられている。
「あいち朝日遺跡ミュージアム」(愛知県清須市)
弥生時代を通じて縄文人と渡来人が長い期間共存していたことが愛知県の遺跡の調査などで判明している。どのような過程で混血が進んだのかはまだ不明で、弥生時代の謎は深まる一方だ。
今回の解析で見えた現代の日本列島に残る都道府県ごとの違いは、弥生時代の混血の過程で起こったまだ誰も知らない出来事を反映している可能性がある。
書物にも残されていない日本人の歴史の序章は、ほかならぬ私たち自身のゲノムに刻まれているのだ。(日経サイエンス編集部)
(過去記事)
四国に渡来人が多かったというゲノム解析は何を物語るのか?
古代イスラエル人が船で徳島に辿り着いたという説があります。四国というと、讃岐で生まれた空海さん。お母様が渡来人の家系だという点も知っていました。
渡来人の代表格は「秦氏」ですが、広隆寺(京都・太秦)、兵庫県赤穂市の大避神社、聖徳太子と秦河勝は同一人物と云う説もあります。
弘法大師空海の生涯には終始、東アジアの渡来系氏族との関係が色濃くあった。(中略)
空海と最も深いかかわりをもったのは渡来系氏族の代表格でもある秦氏であった。秦氏のルーツ説に関して興味深いのは、かの「日ユ(日本・ユダヤ)同祖論」を提起した佐伯好郎博士の「弓月」国ルーツ説および秦氏=ユダヤ人景教徒説である。
密教界最大の超人~空海(1)(2019/10/4)
秦氏の一団は、四国の伊予・讃岐、中国の長門・周防・安芸・備前・播磨・摂津を経て畿内に入り、河内から山背(山城)に至って太秦に本拠を構え、さらに北陸の越前・越中や東海の尾張・伊勢・美濃、そして東国の上野・下野から出羽にまで進出した。
そのうち讃岐では、空海の出自である佐伯氏領する多度郡真野(まんの)の東方の中讃地域に居住した。
見えない糸に導かれて~vol.8 (2020/4/25)より
空海の母は、実家跡といわれる今の多度津町仏母院近くの八幡社に子宝授与を祈願して空海を身篭ったという(仏母院に伝わる空海誕生伝説)。
この八幡社は、多度津町の海べりに鎮座し応神天皇と神功皇后・比売神を祀る熊手八幡宮の分社で、熊手八幡宮はおそらくこの地一帯の秦氏の産土神であった。
(長文のため一部転載。詳しくは元記事で~)








