叶わぬ夢の跡に | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

 

皆さん、こんにちは。

 

今の話題は「東京五輪とワクチン」ですね。IOCも、日本政府も、東京都も、何が何でも東京五輪開催に持っていきたいようです。

 

ワクちゃん接種については前記事で述べましたが、『人間万事塞翁が馬:ワクチン狂騒曲~(2)』に登場しますボッシュ博士が仰るように、今秋から今冬にかけて、その正体が判ってくるはずです。

 

今回の記事は、1998年に開催された長野五輪についてです。記事はコロナ前の2019年に書かれており、長文のために一部編集しております。全文は元記事で~メモ

 

東京五輪は「負の遺産」になる? 長野五輪の廃れた施設、ポケモン守る聖火台(2019/5/26 弁護士ドットコム)

(1998年2月7日、長野五輪開会式)

 

2020年に開催される東京五輪。9都道府県の42会場で史上最多の33競技339種目が行われ、その受け皿となる施設も新設ラッシュが続いている。

 

しかし、気になるのは現時点で、5施設の赤字が見込まれていることだ。1998年に開催された長野五輪でも、施設の後利用問題は大会開催前から懸念されていた。

 

 

(関連記事)

五輪へ新設の都立6施設、黒字見通しは有明アリーナだけ(2017)

 

 

特に「長野市ボブスレー・リュージュパーク」(スパイラル)は、もともと競技人口が少なく、その維持について長野市議会でも度々、問題視されてきた。

 

◆長野五輪、借金返済に20年

 

ボブスレー会場のスパイラル

 

結局、2億円を超えるという多額の維持管理費を理由に、長野市は2017年4月に競技施設としての利用を断念している。

 

101億円かけて建設されたスパイラルも、20年以上を経てすっかり塗装が剥げ、見る影もない。五輪のエンブレムが掲げられた建物も静まり返っている。

 

これらの建設費用含め、長野市が五輪のために借り入れた額は利息を含めて約694億円となり、その償還は2018年度までかかった。借金の返済に20年もかかったのである。

 

 

1997年5月、新聞社の新人記者だった筆者は、五輪開催直前で熱狂渦巻く長野市に配属された。

 

それから2年、潮が引いたようになった長野市で市民として暮らしたが、たった2週間のスポーツイベントのための借金の返済が20年もかかるとは想像していなかった

 

当時のメディアももちろん、五輪後の施設利用問題について報じていなかったわけではないが、五輪が近づくにつれお祭りムードが広がってかき消されていった。(中略)

 

長野オリンピックスタジアム

 

長野オリンピックスタジアムは現在、周辺が整備されて市民に愛される大型公園になっていた。スタジアムを囲むように遊歩道や遊具があり、大勢の家族づれで賑わっていた。

 

◆長野五輪のレガシーと‟負の遺産”

 

長野五輪聖火台にいるのはポケモン

 

スタジアムの近くに、聖火台が残されていた。伊藤みどりさんが奇抜な衣装で点火したあの聖火台だ。今では、ポケモンGOのジムになっており、その日は黒、赤、黄、緑、青の五輪カラーのポケモンたちが聖火台を守っていた。

 

 

近年、開催都市はその莫大な開催費用に苦しむケースが少なくない。パリに決まった2024年の五輪は、招致レースでブダペストやハンブルク、ローマがコストを理由に相次いで撤退した。1都市で開催するには負担が大きすぎるのだ。

 

【来日不可能?】バッハ会長は‟ぼったくり男爵”(5/6)

 

ところが、五輪開催が決まれば、開催都市はすべての競技施設を用意しなければならない。2018年、韓国の平昌五輪では、そり競技会場「平昌アルペンシアスライディングセンター」がわずか10日で閉鎖されている。

 

今後、国際オリンピック委員会は五輪後に採算の取れない施設は、他の都市や国・地域で既存施設で代用するなど、大会運営を柔軟に行わなければ、名乗りをあげる都市はなくなってしまうのではないだろうか。(中略)

 

エムウェーブ(スピードスケート競技会場)

 

現在、エムウェーブは、冬季にはスピードスケートの大会が開かれるほか、ナショナルトレーニングセンター(NTC)競技別強化拠点として、スケート選手の育成拠点にもなっている。スケート教室も盛んだ。

 

一方でシーズンオフには、北信最大規模の屋内施設として、コンサートなどのイベントも開かれる。アイスホッケー会場だったビックハットとともに、市が6割を出資する第3セクターによって運営されている。

 

◆五輪は2週間で終わるお祭り騒ぎ

 

日本選手団の先導は大関・若乃花だった

 

1997年から1998年にかけ、長野五輪が近づくにつれ、市街地には海外メディアや五輪関係者が日に日に増え、活気に沸いた。

 

大会が始まれば、国内外から観戦客が押し寄せ、夜も町は大騒ぎだった。ところが、そのお祭りもたった2週間で終わる

 

「廃墟と化した世界の五輪開催地10選」より

 

その後、パラリンピックが開かれたが、それも閉会すれば祭りの余韻を残さず、人々は日常に戻り、町はまた静かになった。そうして、20年にわたるお祭りにかかった費用の地道な返済と、残された大きな施設の活用という困難が始まったのだ

 

東京五輪でも、同じことが起きるかもしれない。長野五輪のレガシーと負の遺産を振り返りながら、私たちはよくよく、見極めなければならない。(一部転載終了)

 

 

7月23日の開会式まで40日を切った時点で、主催者側に中止の雰囲気はありませんので、開催するつもりだと思います。

 

記事タイトルを『叶わぬ夢の跡に』としましたのは、夢の跡は東京五輪のことを指していますが、『叶わぬ』には二通りの意味があります。

 

(1)何らかのアクシデントで開会式を迎えられない場合

 

(2)開会式は迎えられるが、アクシデントで閉会式は超簡素化

 

 

未来からやって来たジョン・タイターが、「2004年度のオリンピックが最後となり、2040年度にようやく復活する~」と言い残したそうですね。時間軸が違うからでしょうが、2004年は外れましたね~。

 

上図は2034年までの五輪開催地一覧です。

 

守護霊さんに尋ねましたところ、「東京五輪からブリスベン五輪まで行われない~」とのことでした。冬季も含みます。ただし、2034年以降は聞いていません。

 

『東京五輪のレガシーと負の遺産』・・・負の遺産だけしか残らないのではないでしょうか?では~祭

 

 

 

夢の跡(昭和57年 村下孝蔵)