【空海の言葉】悟りは功徳の報酬である | 新MUのブログ

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2014年11月末をもって閉鎖した【MU(ムー)のブログ】の管理人です。
その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

≪悟りは功徳の報酬である≫

 

もし善男善女ありて、生死の苦根を断じ、

 

菩提の妙楽(みょうらく)に至らんと欲せば、

 

まず福智(ふくち)の因を積んで、

 

然して後、無上の果を感致(かんち)せよ

 

【現代語訳】

もし善男・善女が、生死の苦しみの根本を断ち切り、悟りの妙なる安楽の世界に行こうと思うならば、まず福智と智慧のもととなる功徳を積みなさい。そうしたあとで、この上ない悟りという果報に到達するのです。(『理趣経開題』)

 

 

我々は、くり返し苦しみの中に生まれ、くり返し苦しみの中に死んでゆく。取り上げた言葉は、このような迷いと苦しみの世界から解放され、悟りの世界に至って素晴らしい安楽を得ようとするならば、まず福智と智慧のもとである功徳を積むべきである、と述べています。悟りの世界は、その功徳の報酬なのです

 

六度万行(仏教辞典)より

 

空海によると、「智慧」のもととは優れた経典を書写することであり、「福徳」のもととは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六つの徳目を実践することです。

 

そして、この智慧と福徳の二つの善を修めて、衆生の恩に報いて自利利他(じりりた)を実践し、功徳を積むことを重視しています。この行為は、密教というよりも基本的には大乗仏教の菩薩の教えです。

 

自利利他と我利我利亡者(仏教辞典)より

 

空海は、「福智の因を積む実践行」が密教の深い教えに入るための入門であると考えています。したがってこの言葉は、仏と一体となる瞑想行において仏智を悟り、その仏智を実践するところに成仏の意味を見る密教の思想を直接説いているわけではありません。

 

 

しかし、福智の功徳を積まない限り、悟りの世界に入ることができないことは、密教においても当然のことです。(『日本人のこころの言葉・空海』)