≪欲望むき出しの人は哀れだ≫
哀(あわれ)なるかな、哀なるかな、
長眠(ちょうみん)の子。
苦なるかな、痛(つう)なるかな、
狂酔(きょうすい)の人。
痛狂(つうきょう)は酔わざるを笑い、
酷睡(こくすい)は覚者を嘲(あざけ)る。
【現代語訳】
哀れなことよ、哀れなことよ、真実の世界を知らずに眠りこけている者よ。苦しいことよ、痛ましいことよ、迷いの世界に酔いしれている者よ。酔いに狂った人は、酔っていない人を笑い、いぎたなく眠る人は、さわやかに目覚めている人を嘲るものです。
自分の能力に自信を持っている。自分が世間から高く評価されていると思っている。自分から進んで仕事を引き受ける。自分の考えが常に基準であり、正当であると思っている・・・この言葉は、そのような人を連想させます。
確かに、現実社会にはこのような人がいます。強引な人がいたほうが物事が進む場合がありますし、遠慮深い人たちばかりでは、社会は発展しません。何もしないで要求ばかりする人よりも、このような自信家の方が、多少の迷惑はありますが社会に貢献しているともいえるでしょう。
それでも、空海の悟りの目から見れば、このような人は真実の世界を知らずに眠りこけているようなものです。
迷いの世界にいることを自覚しないために、まず先に結論を持ち、それを実現する方法ばかりを考えるあまり、物事の真実を見通して実現の方法を引き出す人を酔っぱらいとさげすみます。自分は明晰で正しいと錯覚しているために、真実を見通し静かに語る人を眠っているとあざ笑います。
空海がどのような人たちを見て、「哀れなことよ」、「苦しいことよ」といったのかわかりませんが、欲望むき出しの人たちであることは間違いのないところでしょう。(『日本人のこころの言葉・空海』より)
迷い道(昭和52年 渡辺真知子)
(過去記事)【6と7の架け橋】宇宙図書館(2)(2018/3/26)


