【小樽・余市の旅】手宮洞窟とフゴッペ洞窟 | 新MUのブログ

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その節はお世話になりました。以前は時事問題を主に取り上げ
ましたが、各種事情により少しセーブします~♪

手宮洞窟(小樽市手宮1-3-4)

 

【小樽・余市の旅】では、参拝のために訪れた神社二社は14日の記事でご紹介し、後は続縄文時代の陰刻画が描かれている洞窟2ヶ所、環状列石(ストーンサークル)3ヶ所、奇岩をご紹介します。

 

まずは、12日に訪れた小樽市手宮にあります「手宮洞窟」からです。小樽市総合博物館横の道路を挟んでお隣にあり、車でお越しの方は博物館駐車場をご利用ください。入館料は100円です。

 

小樽市総合博物館

 

 

小樽市手宮洞窟保存館(小樽市HP)

手宮洞窟は1866年(慶応2年)相模国(現在の神奈川県)小田原から、朝里地区のニシン番屋の建設に来ていた、石工の長兵衛によって発見されました。手宮洞窟周辺は、小樽軟石と呼ばれる凝灰岩(ぎょうかいがん)が露出しているところで、長兵衛は建築用の石を捜している途中で偶然洞くつ内の岩壁にさまざまな文様が刻まれていることを発見しました。

 

 

1921年(大正10年)には、その価値が認められ、国指定史跡となり、1949年(昭和24年)にはブロンズによる模刻と保存覆屋の整備を行いました。しかし、発見以来120年以上がたち、風化、剥落の進行を防止し、貴重な文化財である手宮洞窟を後世に伝えるために、昭和61年から保存修復事業を開始し、約10カ年の歳月を要し、平成7年に手宮洞窟陰刻面を保存する「手宮洞窟保存館」を完成させました。

 

陰刻画全体図(模写図)

 

手宮洞窟に描かれている彫刻(陰刻(いんこく)画)がいつ誰によって刻まれたのか、それが何を表現したのか、かつてはいろいろな説がありました。しかし、現在まで行われたさまざまな調査研究により、ある程度のことがわかるようになってきました。
 

この彫刻が刻まれた時代は、発掘調査により、今からおよそ1,600年前頃の続縄文時代中頃〜後半の時代で、本州の弥生(やよい)時代の終わり頃から古墳時代の初めの時期にあたります。この頃の北海道は、豊かな自然を背景とし、縄文文化をさらに発展させた狩猟採集文化の時期で、その文化は新潟県からサハリンにまで及んでいました。

 

同じ時代に刻まれた彫刻が、余市町のフゴッペ洞窟にあります。フゴッペ洞窟の彫刻は舟、魚、人などが描かれたものと考えられますが、手宮洞窟のものと非常に良く似ているものがあります。(引用終了)

 

フゴッペ洞窟(余市町栄町)

 

次に向かったのは余市町にありますフゴッペ洞窟です。この洞窟は、昭和25年(1950)、札幌市の考古学少年、大塚誠之助氏によって発見されました。

 

調査される前までの洞窟は大半が土砂に埋もれたタイムカプセルでした。続縄文時代の土器や石器、骨角器、動物や魚の骨が眠っていましたが、驚いたのは岩壁に刻まれた陰刻画だったのです。

 

フゴッペ洞窟(余市町HP)

岩壁に刻画を残す洞窟遺跡は小樽市手宮洞窟とともに現在日本国内において対比されるものがありません。800を超す刻画があり、人が仮装したようなものから舟、魚、海獣、4本足の動物のようなものがあります。

角の仮装をした人物

翼の仮装をした人物(左)、ふたりの人物(右)

※館内は撮影禁止のため、販売されている写真3枚セットより

で仮装した人像が多く、これはシャーマンを表したものと推察され、何らかの宗教的儀礼の場であったのではないかと考えられています。洞窟は堆積土層から発見された土器や骨角器の分析から、およそ2000~1500年前の続縄文期に属する遺跡であることがわかっており、各国から学者や研究者も訪れています。(引用終了) 

 

陰刻画のある続縄文時代の洞窟遺跡は、この二ヶ所しか見つかっていません。シベリア、アムール川周辺で発見された岩刻画との類似性も指摘されていますが、関連性は不明となっています。

 

まぁ、それはそうでしょうね。世界に点在するピラミッド構造物と同様に、関連性があるとされたら困る人たちがいるでしょうからね。

 

 

写真3枚セットには、『フゴッペはアイヌ語《音・浪・多くある・(ある)もの》が語源のようです』と書かれています。

 

あるもの?上図は【翼の仮装をした人物】をフゴッペ洞窟のシンボルとしたものですが、イエスの磔刑に似ていますよね~。

 

どうしても現代人は現在の世界地図から判断しますが、大昔、ユーラシア大陸と日本列島が繋がっていたかもしれませんし、北海道が今の位置にあったのかも定かではありません。

 

また、「翼、角の仮装した人物」と表現するのは現代人ですが、本当に仮装なのかどうかは当時の人々に聞いてみないと分かりませんね~(笑)。

 

そして、国内で2ヶ所しか発見されていない続縄文時代の洞窟遺跡ですが、次回ご紹介します環状列石(ストーンサークル)もこの周辺に点在しています。何らかの関連性があるような気がしますね~。ニコニコ