5月の半ば、彼の仕事の方も、ようやく落ち着いた。

私の故郷、長野県安曇野へ出発する当日・・・・。

その日のためにレンタカーを借り、彼が運転。

彼は私の体調を気遣ってくれ、途中、何度も休憩をとってくれた。

そのお陰か、私の体調は悪くなかった。

今日、向かう 《 秘密の場所 》 に、

彼は何を感じてくれるのだろうか?

私は、彼が小さい頃に一緒に、

そこで遊んでいた、あの 《 男の子 》 だということを信じている。

あとは・・・彼の記憶だけ・・・・。

彼の記憶が甦ってほしい・・・・と

私はひたすら祈るような気持ちだった。





高速を下りてから、 《 秘密の場所 》 がある、梓川への

道のりを、彼女から聞きながら、しばらく走行した末、

のどかな風景を携えた、河原の土手付近に到着できた。

車を駐車した後、そこから彼女と2人で、5分弱歩き

《 秘密の場所 》 である、河原の土手の大木の下に辿り着いた。

そこで広大で綺麗な風景を目にすると同時に

オレは不思議な感覚を覚えた。







《 秘密の場所 》 に到着した途端、

不思議にも緊張感があった彼の表情が、とても柔らかくなった。

まるで、この場所の風景、空気、雰囲気を楽しんでいるみたい・・・。

しばらくの心地良い沈黙の後、やっと彼は口を開いた。

「 この場所が、あの頃と全く変わっていないせいなのか?

  今日、来てみて、初めて来た場所じゃないってことがわかった。

  やっぱりオレ、ここにいた事があったんだって

  ・・・・・・・・今、思い出したよ・・・・・・。」 と

彼は私を見ながら、嬉しそうに微笑んだ。

そして大木を見上げて

「 オレ、確かに、ここで女の子と遊んでいた。

  女の子は、この大木に登れなかったんだ。

  オレだけが登って下を見下ろすと

  登れない・・・と、泣いている女の子がいた。

  その女の子は・・・・ミオ?・・・・だったんだね? 」 と

彼は自分の記憶を確かめるかのように、私に聞いていた。

私も、その事をよく覚えていた。

あの時、男の子だけがスイスイ木に登っていくのを見て

自分だけが置いていかれた気分になっていた事を・・・・。

そう思い起こしながら

木の上を何気なく見上げた私は、次の瞬間ハッとした。

そこには・・・?!あの時、産科で会った 《 男の子 》 が

木の上から、私を見下ろしていた。

なぜ?あの 《 男の子 》 がここに?

・・・という疑問が生じるよりも、私には不思議と 《 男の子 》 が

こにいるのが、普通に、自然に感じられていた。

まるで 《 男の子 》 が、あの頃の彼の様に思えた。

彼の方はというと、

木の上の 《 男の子 》 の存在に気付いていない?

見えていない?様子だった。

なんだかその 《 男の子 》 の存在を

彼には言ってはいけないような気がして

私は黙っていた。





その後も沢山の記憶たちが、オレの頭の中に甦っていた。

それまで、どうしても思い出す事が出来なかったはずな記憶たちが

ここへ来た途端、甦ってきたことが、とても不思議に感じた。

まるでジグソーパズルが、調子よく繋がっていく感触に似ていた。

公園で、いじめっ子たちから、いじめられていた女の子を

助けるために、喧嘩をした記憶はもちろんの事、

公園には飽きて、女の子と2人で、この場所を見つけてからは

ここでかくれんぼや、唄を歌ったり、

追いかけっこをしていて、転んで大泣きする女の子を

一生懸命に慰めていたり・・・・。

いつもオレの後ろを、ちょこちょこついて来る、女の子のことを

とても可愛く感じていた、5歳のオレ・・・・・。

オレの思い出した記憶は、微々たる食い違いが多少あったものの

彼女の思い出と必ず噛合っていた

オレは間違いなく、小さい頃の彼女と、ここで遊んでいたんだ・・・。

でもなぜ?

オレは、こんな楽しかった記憶を封じ込めていたのだろうか?

何気なく視線が、土手に咲いている、沢山のたんぽぽたちに

注がれた瞬間・・・・・・オレの胸は、次第に苦しくなっていった。





ここで女の子と最後に遊んだ日。

土手に咲いていた、たんぽぽを一輪摘んで

女の子に渡した記憶・・・・・。

オレの頭の中で、自然に回想されていった。

あの頃は、母親がオレを近くの親戚に預けたまま帰ってこなかった。

簡単に言うとオレは、自分が捨てられたと悟ったばかりだった。

既に父親にも死別していたオレは

父方の親戚に引き取られる事になり、

安曇野から離れ、別の地で暮らすことになっていた。

それまでも家庭の事情で、引越しが多かったオレ・・・。

《 さよなら 》 を、嫌になる程、繰り返してきた。

だから安曇野でも、せっかく仲良くなれた、大好きな女の子に 

《 さよなら 》 を、告げるのが

とても辛かったはずだ。

それは・・・可愛いらしさがある反面、

時々、大人びる事のあった女の子が

オレの初恋だったからかもしれない・・・。

もう会えない、遊べないという、悲しい思いを抱えながら

別れの言葉 《 さよなら 》 を、告げる代わりに

オレは、たんぽぽを女の子に手渡したのだった・・・・・・。

従がって・・・・たんぽぽはオレにとっては

《 別れの花 》 そのものでしかなかった。






土手に咲いている、たんぽぽを見つめている、彼の横顔が

とても悲しげに見えた。

彼は声を振り絞るようにして

「 あの頃のオレは 

  《 さよなら 》 という言葉が嫌いで

  どうしても言葉に出来なかった。

  小さい頃から家庭の事情での引越しが多かったのと

  あの頃は母親に捨てられたばかりだという事も

  あったのかもしれない。

  人と別れる、会えなくなるということへの恐怖心・・・。

  だからオレは別れに関係する言葉に敏感だった。

  5歳の頃に、オレがミオに差し出した、たんぽぽは・・・

  オレにとって 《 さよなら 》 を告げる代わりの

  辛い別れの花に過ぎなかったのかも・・・・。

  その上、オレは無意識に、その辛かった思いと一緒に

  ミオとの思い出までも

  封じ込めていたのかもしれない・・・・。 」 と

うなだれた。

私は、彼が入院していた時に話していた事を思い出した。

《 さよなら 》 という言葉が辛かったと言っていた彼・・・。

確かに彼が言うように、

子供の時に彼から私が貰った、たんぽぽは

《 さよなら 》 という言葉の代わりに過ぎなかったのかもしれない。

けれど・・・・私はそれを知らずに、幸せな気分で

たんぽぽを受け取っていた。

私はふと木の上の 《 男の子 》 を見上げた。

《 男の子 》 は、

「 大丈夫だよ 」 と、言いたげな眼差しで私を見つめていた。

私は 《 男の子 》 の眼差しから

不思議にも自然に答えが見えてくるのを感じていた。