あけましておめでとうございます
令和も 4年目になり
この元号にも
いつの間にか 馴染んだ感じ
皆さま
どのようなお正月を お迎えでしょうか
実は 私
今年の年賀状を書くことほど
苦労したことは なかった
計画性のない 私は
毎年
忙しい師走になって
ようやく 年賀状のことを考え始め
お尻に火がついた状態で
アチチチの痛みと共に
書いているんだけど
そんな私でも
今回の年賀状は
例年以上に
アチチチチチチチチ…だった
12月に入って
いつものように
年賀状のレイアウトを はじめよう
と PCを開いたら
なんと!
ワードが 突然 使えなくなっていた
ドラ夫に聞いても
埒が明かず
パソコンの先生に見ていただいても
分からなくて
では しょうがない
と 方向転換して
消しゴムはんこ彫り始めるも
小学生以下の出来に 絶望し
↑
失敗作を
悪い娘は母の年賀状に使わせたのだった
遂に
私にとっては 禁断の果実
柄付き年賀状 を 買いに行くも
これぞ と思うものがなく
買わずに 帰り
今年は もう 出すのをやめようか
と考えるまでになっていた時
パソコンの先生から
筆○るめのダウンロード版がある
と 伺い
それを購入するも
そのダウンロードが うまくできない
ここでも また
パソコンの先生の 貴重な時間を奪い
やっとやっと ダウンロードし
好みの画像を 選び始めた途端
かつて 絵に関わる仕事をしていた 私
やっぱり
自分で描いた絵を 使いたい
という欲望が ムクムクと湧いてきて
これまた 言うことを聞かないスキャナーと
格闘しつつ
ようやく 年賀状が完成したのが
30日 夜
結局 去年の年末は
年賀状作成に 振り回されてしまった
振り回されながら
私は 考えていた
周りの 友人達の中にも
ひとり ふたり と
年賀状の卒業宣言をする人が
出てきている 中で
自分は 何故 ここまで
年賀状にこだわるんだろう
年賀状を止めてしまえば
毎年 師走が
ずいぶんと楽になるのに
私が育ったのは
イベントで盛り上がることが
あまり ない 家庭だった
クリスマスや お誕生日に
プレゼントは貰っていたけれど
それは
子どもが欲しがるから 渡す
といった かんじ
母の日や 父の日も
子どもが 学校とかテレビで知って
勝手に 盛り上がるだけで
要するに
家族の生活に それらは
根付いていなかった
まあ 昭和の時代は
日本の どこの家庭も
似たような感じだったのかもしれないけど
でも
お正月だけは 違った
お正月を迎えるに当たり
母は 毎年
おせちを 豪華に作り
父は 餅をついた
3が日には
親戚やお客様も 次々と来ていたし
いつもは 子どもと遊ぶことなどない
父も
凧揚げだけは 付き合ってくれた
私にとって お正月は
本当に 特別の
ハレの日だった
あの頃は 今と違って
年賀状のやり取りが 盛んだったので
元旦の朝
ゴトッ と音がして ポストを見に行くと
10センチ近い 厚さの
輪ゴムで止められた 年賀状が
届いていた
私は それを
率先して 宛名別に仕分け
ほとんどが 父や母宛ての
年賀状の中に
自分宛てのものを 見つけると
本当に うれしかった
そんな 幼い頃の刷り込みが
私の中に あるのだろう
あんな 大変な思いをしても
私は きっと 来年も
年賀状を 書く
ところで 今回
寅を 美形にしてみました
トラって 一般に
強くて獰猛なイメージが あるけど
こんな寅がいても いいよね
みんなちがって みんないい
by金子みすゞ
という思いを 込めたつもり
歳を重ねるに 従って
自分の過去から 導き出した答えだけが
正解である と思い込み
人の意見を受け入れられにくくなったり
発想が凝り固まってくることは
自分の実感としても あるけれど
でも
時代は 変化しているしね
多様性が
ますます 重要視されてるしね
既成概念に囚われず
心を柔らかくして
今年一年
過ごしたい と 思います
ということで 先ずは
私の想像の 遥か上を行く
認知症母の行動を
その上を行く発想で うまく対応し
二人で 謎のワンダーランドまで
飛んでいって
そこで 思う存分 遊んでみようか
…って なんのこっちゃ
みなさまにとって
新たな年が
すばらしい一年になりますよう
お祈りいたします

