「中国は歴史戦や認知戦を仕掛けている」と中国敵視で吹き上がる大日本病患者が一部にいるが、中国は全然本気出してない。手持ちの歴史問題カードを温存している。いま日本と積極的に争う理由がないから。もし歴史問題で中国が本気出してくれば日本に勝ち目はない。東南アジアが全部日本の敵になる。
憲法9条を「世界中に広めるべき」と語るマハティール。戦後最も厳しい安全保障環境、日本外交の岐路に問いかけること
今年で101歳になった元マレーシア首相のマハティール・ビン・モハマド氏。1925年に日本統治下のマレーシアで生まれ、戦後は英国植民地からの独立運動に身を投じ、1981年にはマレーシア第4代首相に就任。当時日本を手本に国の開発を進める「ルックイースト政策」を採用し、マレーシアを発展させた経歴を持つ。
高市政権が発足しまもなく1年が経つが、憲法改正への動きなど、日本はいま、戦後かつてないほど「戦争」に近づきつつある。果たして日本の外交はこのままでいいのだろうか? 国際政治学者の三牧聖子氏がマハティール氏の思想を解説する。
三牧聖子
先の戦争「日本の侵略戦争」と考える人は35%、「わからない」が48%
「戦後最も厳しい安全保障環境」が語られるいま、日本外交は岐路に立っている。高市政権は防衛力強化と武器輸出拡大を進め、年末の安保戦略三文書改定で非核三原則を堅持するかも曖昧にしている。
8月15日の全国戦没者追悼式では、昨年、石破首相が13年ぶりに用いた戦争への「反省」が再び消え、日本は「インド太平洋の輝く灯台」になれると述べた。
しかし、アジアを照らす「灯台」を掲げながら、アジアの人々の目に日本がどう映ってきたかという視点が、私たちから失われてはいないか。NHKの戦後80年の世論調査では、先の戦争を「日本の侵略戦争」と考える人は35%にとどまり、「わからない」が48%に達した。
だからこそ、いまマハティールの言葉に耳を傾けたい。
彼が最初に出会った日本は、1941年、少年だった彼の暮らすマラヤに侵攻した日本軍だった。以来、日本軍に殺された若いイギリス兵を何度も思い出し、戦争への嫌悪感を募らせてきた。日本占領の終結を心から喜び、列強に自国と民族が翻弄された歴史を、不名誉と屈辱として振り返る。
その彼は戦後日本を高く評価した。焼け跡から立ち上がり、勤勉や規律、技術によって繁栄した日本は、ルックイースト政策のモデルとなった。だが彼が日本に見出した価値は経済発展だけではない。
侵略戦争を拒否する憲法を「非常に優れた憲法規定」と呼び、「世界中のすべての国の憲法に盛り込まれるべき」だと語る。被爆国の経験も、より公正な世界に生かせると期待する。
戦後日本の平和の理想は、マレーシアやASEANの経験と交わる。マハティールは紛争を戦争ではなく交渉、仲裁、司法で解決すべきだと説く。マレーシアは領土問題を国際司法裁判所(ICJ)に委ねてきた。国際司法は、犠牲を生まずに紛争を解決する現実的な道である。
この立場は、「法の支配」を掲げ、ICJや国際刑事裁判所(ICC)を重視してきた日本外交とも重なる。
「法の支配」は今、危機に瀕している。8月、米国は赤根智子・ICC所長を制裁対象に加えた。同盟国が国際司法を脅かすとき、日本は法による平和を守れるのか。アジアの「灯台」に必要なのは軍事的な強さよりも、強国にも法と平和を語る胆力だろう。
日本占領を経験したマラヤに生まれ、戦後日本を見つめ続けてきた101歳の政治家は、日本が何によってアジアから信頼されてきたのか、その選択を手放して本当によいのかと問いかけている。
文/三牧聖子
101歳のマレーシア元首相が語る平和論「日本の美徳はイスラームの美徳」ルックイースト政策の真意とは
マレーシア元首相マハティールは在任中「ルックイースト政策」を掲げるなど、日本の近代化に学び、マレーシアを発展させてきた。ただ、なぜ彼は日本に希望を見たのか。今年101歳になるマハティール、1世紀を生き、植民地支配、日本占領、独立、国家建設と発展をその目で見つめてきた彼の思想の核心は、単なる反欧米でも経済成長至上主義でもなく、イスラームの倫理を基盤とした公正な社会と世界平和への希求にあった。
中田考
日本で重んじられる美徳とイスラームの共通点
今年101歳を迎えたマハティールは、類いまれな記憶力と医師として培った論理的思考力、観察力とを備え、1964年に国会議員となり1981年に首相に就任、2020年に二度目の政権を退くまで通算約24年間国政を率いてきた。
書籍『マハティール 百年の思想』は西欧帝国主義列強がアジア・アフリカを植民地支配した「コロニアル時代」から、戦後の主権国家体制の成立、グローバル・サウスが台頭する「ポストコロニアル時代」に至る20世紀から21世紀に跨る現代史の貴重な記録となっている。
タイと隣接する英領マラヤのクダー州に生まれ小学校から英語教育を受けて育った彼は多民族共存の作法を自然に身につけていた。「学校のクラスメイトはほとんどがマレー人ではない人たち」で「先生も生徒も、マレー人、インド系、中国系がちょうどうまく交じり合って過ごしており」、「当時、私たちは民族の違いに気付いてなかった」「それが当たり前だと思っていた」と彼は回想する。
しかし日本軍の侵攻によって英国と白人の無敵神話が崩れ、故郷クダーが住民の意思とは無関係にタイへ割譲される理不尽を経験する。
彼は「日本人がクダ―の統治権をタイに譲り渡した横暴さ」に憤り、自分たちが「個人の所有地のように簡単に譲渡できる単なる不動産のひとつとしてあつかわれているように思い」「マレー人としてのアイデンティティを意識するようになり」「外国による支配に嫌悪感を抱くように」なっていたと述べている。
支配者が替わるだけでは民族の自立ではないと悟った彼は、戦後、植民地の臣民からマレー民族主義者へと転じていった。
「規律正しさ、勤勉さ、時間を守ること、清潔さ、正直さをなど日本で重んじられている美徳は、イスラームにおいて求められる美徳そのもの」と彼は述べる。
彼の「ルックイースト政策」は植民地支配によってイスラーム的生き方を捨てさせようとする西洋とは違い、日本の生き方はイスラームの生き方と矛盾しないとの確信に基づいている。
彼の思索は日本におけるムスリム移民との共存の方策から、不公正な国際秩序への批判、「戦争の犯罪化」へと連なる。
翻訳・編集を担当した久志本裕子氏は従来「親日家」としてのみ語られてきたマハティール像を覆し、敬虔なイスラーム教徒にしてポストコロニアル思想家という重層的な姿を引き出し、本書を混迷の時代の要請に適う警世の書としている。
文/中田考
混迷する国際社会のなかで、日本とアジアが果たすべき役割とは何なのか。イスラーム学者の中田考氏が考察する。

