私が小さい時は 祖父母と同居していました。

 

私の祖父は オリエンテーリングが趣味で 全県制覇していました。

また 毎朝4時に起きて 近所の公園で10キロ走り 広場でラジオ体操をしていました。

祖父は、朝起きるのが早いので 座りながらよく居眠りをしていました。

そして、寝ながら国会中継をみてました。

(国会中継眠くなりますからね。)

寝ながら見て 内容を理解していたのかは疑問ですが、政治に詳しく、最後まで頭はぼけていませんでした。

祖父は 60歳で総入れ歯になっていたので 昼寝をすると 上の入れ歯がパコっと落ちていました。

落ちるとそれをハメようと口が閉じました。

それは繰り返され、面白いので 私はよく祖父の口元を観察してました。

祖父は 食事が終わると 入れ歯を外して 大きめのコップの中に水を入れ浸していました。入れ歯がないと 口が萎んで顔がクシャクシャになりました。

シュールな絵面だったと思い出します。

私の父と母は 入れ歯が一本もなかったので クシャクシャな顔は見たことがありません。

入れ歯は昭和の産物でした。

 

 

 

祖父は、80才になっても陸上の大会に出場していました。80才の出場者はほとんどいないので、70才〜のクラスにでなくてはいけないから 勝負にならないと嘆いていました。

近所の鯛焼き屋のおじいさんがライバルで いつも張り合っていました。

鯛焼き屋のおじいさんは、祖父と同い年でしたが 半年ほど早く産まれていたのでいつも最長老としてラジオ体操の会の人たちに持ち上げられていると 祖父は言っていました。

 

ある時 祖父は ラジオ体操の仲間たちと 九州の陸上大会に行きました。

旅行も兼ねての大会出場でした。

ホテルで皆と同じ部屋に寝て 朝起きると、、、、。

 

 

 

 

鯛焼き屋のおじいさんは なくなっていました。

さあ大変です。

陸上の大会どころではなくなりました。

九州から東京まで ご遺体を運ばなければいけません。

ご家族に連絡して、おおわらわだったと思います。

私は 子供だったので その後のことは知りません。

 

しかし 考えてもみてください。九州から東京まで新幹線でご遺体を運ぶわけには行きません。

だって 隣を見たらご遺体があるなんて 殺人事件じゃあるまいし 怖いじゃないですか!

九州から東京まで 霊きゅう車で運んだのでしょうか。

 

 

 

鯛焼き屋のおじいさんがなくなってから 祖父はしばらく気落ちしていました。

どちらが 長生きできるか 長生き競争もしていたからです。

祖父は「長生きして勝ったからって 嬉しくともなんともない。それより ライバルがいないことが寂しい。」と言っていたのを覚えています。

 

祖父は 100歳まで生きると公言していて 100歳の誕生日の1ヶ月後になくなりました。

 

長くなりましたので これで終わりにします。

      

 

 

 追伸:   この記事は昨日書いたものです。

朝起きたら 鯛焼き屋のおじいさんの帰宅方法を思い出しました。

おじいさんは、九州でお骨にし コンパクトにして持ち帰ってきたそうです。

(もう 2〜30年前の祖父の友達のことなのに思い出すなんて、脳ってすごいと思いました。どこにこの記憶はしまってあるのでしょう。不思議です。)