平成20年の出雲国への旅。
お盆休みを利用して大分から島根県まで旅をした。
その時使ったのはこの青春18きっぷ
乗車できるのは、普通と快速そしてJRが運行している秋の宮島航路とか関連のものになる。特急や急行に新幹線は、別途料金が必用となってくる。
今はこの値段よりもあがってしまって、12,050円もするそうだ。
そしてこの頃はワンスタンプずつ使えた利用方法も、去年からかな今年から?連続した5日間もしくは3日間という2タイプの18きっぷが発売となっていて、必ず連続した使い方しかできなくなった。
いや、これまで通りに5人とか3人でワンスタンプづつ使ってもよいし、二人旅をツースタンプ使ったら、あとの残りをひとりで使ってもよいが、どうゆう使い方でも使い始めた日にちより連続してでないと駄目だという事だ。以前ならば日をあけてもよかったし、連続でなくても決められた利用期間内であれば、自由に使う事ができた。
因みに3日分は1万円だそうだ。
いつもならばこの先冬の販売があるが、冬季は12月1日から末日の発売で、12月10日から1月10日までの使用期間となっている。
まだ発表もされていないので、時期がきたらJRのHPとかで確認して欲しい。現在は秋の乗り放題パスが期間限定で17日まで発売されている。使用期間は10月19日までなので、17日に買ったらいそいで連続して使わなければならない。このチケットは3日分だから・・・販売価格は7千円台だよ。![]()
さて、・・・・私が旅した島根県出雲大社の旅は、60年に一度の遷宮の年で、いつもは閉じられた本殿の扉が開けられて、通常ならば神様がいらしゃる寝所ともいえる場所を見れるとあって、この年は半年間ぐらいもの凄い人が訪れていた。
出雲大社だけでなくて、この年の頃は伊勢神宮とか全国でも遷宮が相次いでいた。
遷宮とは神様のいつもいらしゃる場所・本殿を、新しく造営修理するといったような事だ。その前に神様は別の仮の宮に移されている。
だから私が行った先の本殿内部も、修理に入る前の空っぽの空間だったという事だ。
私の場合はあと1回は、もう一度遷宮に遭遇しそうだ。(笑)
出雲大社の近くまで来ると、こうした大鳥居が目に入るけど・・・
同じようなものがこの鳥居に背を向けて立つと、まっすぐ延びた商店街の方にも見る事ができる。
大鳥居をくぐるとまだまだ本殿までは長い参道が続いている。
そしてくぐって暫く行くと進行方向右手に、小さな社があってまずはそこで手を合わせて禊をしてから向かうのが、本来の参り方だと誰かが言っていたので、私もそれを実践して本殿へと向かいました。
その社の事を知る人もあまりいないのか、地元の人以外はほぼ素通りしているようでしたね。![]()
本殿近くまで来ると奥に見える様なテントが通りを挟んで設置されていて、通りの右側のテントでまずは受付を済ませると、反対側のテント内で椅子に座って先に入った数十名のグループが出てくるのを待って、次に呼ばれた人達がひとグループとなり、本殿へと向かいます・・・その時には、本殿に上がる時に靴を脱ぐんで受付で渡された手提げのビニール袋にそれを入れて、手に持って向かいます。
ここでもう1つ。![]()
受付では服装チェックがあってね。
さすがに神様のいる場所という事で、失礼のないようにと
素肌は極力出さないこと。
女性の場合は丈の短いスカートやズボンは駄目。
男性も短パンなどはNG
夏だけれど足元は靴下もしくはストッキング
履物はサンダルのようなカジュアルなものよりも、運動靴とか革靴女性はヒール等でもよい
などとした条件が言い渡されて、その場でのズボン等のレンタルもやっていました。男性もできれば会社に行く時のようなズボンか井出立ちが望まれたようだけど、チャラチャラした柄物とかでなければ、いいですよと言われていたみたいだった。
もちろん今時な入れ墨等なものも駄目
上着等で隠して下さいとのことだ。
私の場合は初めからズボンに薄手の上着も着ていたんで、そのまんま進む事ができました。条件に合わないという人の中には、自ら諦めて引き返す人もいましたね。
あとはカメラでの内部撮影動画撮影は禁止と、なかなか大変な条件が言い渡されていました。
この頃は今のようなオーバーツーリズムな世の中ではなかったんで、見る人達の殆どは日本人だと思いました。
外国人は程よく少な目で、とてもいい環境でしたよ。(笑)
今年後期の今放送中の朝ドラ・ばけばけ
その中で主人公のヒロインの母として登場する、松野フミという女性のモデルとされる人は、実はこの出雲大社と縁のある上官・高級神官であった高浜家に養女として暮らしていました。
その女性の名前は高浜トミ・・・・後に彼女は稲垣家に嫁いで稲垣トミとなります。
ドラマの中では松野家に嫁いだ松野フミということだね。
ヒロインは20歳の頃まで母親にいろんな話をせがんで聞かせてもらっています。母親が話す不思議な話や怖い話などは、高浜家に暮らしていた時に、神官であるその家で耳にした物語の1つ1つだったんだろうと言われています。
出雲に伝わる不思議な話や怖い話。
妖や目に見えない世界の存在のお話など・・・・
ヒロインにとってはそれがとても魅力的に思えたんでしょう。![]()
さて、出雲大社といえば因幡の白うさぎです。
覚えていますか?(笑)
日本人であれば、小さい時に一度は聞いたことがあると思うのですが、覚えてない人や忘れている人の為に、ここで簡単にお話しましょう。
昔々・・・・
出雲の国には沢山の兄神を持つ末っ子の大黒様という神様がいらしゃいました。大黒様達は因幡の国にいるという美しい姫を見に向かったのですが、一番後ろを兄神様達に遅れて、大きな袋を担いで歩く大黒様の目の前に、一匹の体の皮を剥がれたうさぎが見えてきました。
うさぎは酷く痛いと鳴いていて、どうしたんだと声をかけた大黒様に、先ほど通った神様達が、この姿で鳴いていると・・・・
海水に体を浸して風で乾かせばよいと教えてくれたので、うさぎはその通りにしたんだけども、余計に体がヒリヒリして痛くてたまらないんだと![]()
それを不憫に思った大黒様は、
真水に浸して体を洗いガマの花を摘んできて、その上に寝転がればよいと教えるのでした。
その通りにやってみると、たちまちうさぎの痛みはマシになり、みるみるうちに白い毛が生えてきて、すっかり元通りの姿へと変わったのです。
うさぎは何故こんな事になったのかの経緯も話しました。
隠岐の島に住んでいた時に、こちら側に渡ってみたいと海にいたサメたちに、君たちと僕たちとではどちらが数が多いか数えさせてくれと言って、サメたちはその背を一列に島から陸地へと並べて、うさぎはまんまとその上をぴょんぴょんと飛んで渡ってきたんだが、あと少しというところでつい有頂天になって、サメたちを騙したんだと口を滑らせてしまった事で、サメたちを怒らせてしまい。
体中の皮を剥がされてしまったという事だった。
大黒様に助けられた白うさぎは、すっかり心を入れ替えて改心し、大黒様にお礼を述べたのでした。
そして一番遅くに因幡の国に辿り着いた大黒様が、その国に住むという美しい八上比売(やかみひめ)に選ばれる事となりました。
という事で、その大黒様と白うさぎの姿が、境内の中で見る事もできました。ふたりが出会った海岸も、ここより少しいったところに存在しています。
大黒様は農耕の神様でもあり、さまざまな暮らしの業を導かれた方だと、出雲大社のHP上では書かれています。
皇室の先祖となる天照大御神に「国土奉還・国譲り」され、天照は目に見える世界を・・・大黒様は目に見えない世界(幽事・神事)を司る神となったといいます。
よく間違われることがあるんだけど、
出雲大社で祀られている大黒様こと大国主命と、七福神に出てくる大黒天とは全くの別物。確かにどこか似ているけど、違うんだって覚えておいてね。(笑)![]()
ここから見えている御本殿となる周囲に並ぶ人の数。
私もここに並びました。![]()
丁度本殿に向かって左手だから、この見えている目の前から時計回りと逆に進んで、ぐるりと元の位置に戻ると正面の本殿の扉の前に、そして中に入らずしゃがむようにして内側を覗き込むと、
外から見るより狭いよな空間に、天井を見上げるとよく聞く八雲立つの![]()
こちらの雲の絵が描かれている。![]()
そして西の方位だったかな?本殿向かって右側の壁際に高さのある畳の台があって、いつもそこに大国主命が座っていると聞いた。
もちろんこの時は不在でしたけどね。(笑)![]()
後の人の事も気になってなるだけ記憶に焼き付けて、その場を後にしました。本当はもっと見ていたかったけどね・・・・
この時ね、本殿へ上がる階段の外・・・そのすぐ横にある場所で、お守りとかお札とか売られていたんだが、その片隅で遷宮に対しての心ばかしのお金を納める場が設けられていてね。
私もそこでお気持ちでという事で、少ない金額ではありましたが納めさせてもらい。その時書いた名前と住所が、今後千年間本殿下の地下に納められるという体験をしてきました。
凄くない!!
千年間自分の名前がそこにあるんだよ。
自分が亡くなっても、長い時間を神様と一緒に過ごせる。
それだけでも貴重なこととなりました。![]()
その時巫女さんの前で住所を記帳していたら、巫女さんが思わず小さく声をあげて、「えっ!?」って驚かれたのは・・・・私的にはその理由がわかっていました。
実は当時住んでいた私のアパートの住所が、大分県杵築市〇〇・・・・
ここ出雲大社の住所が、出雲市大社町杵築・・・・
偶然はもう1つあって、私の住んだ住所の隣にも出雲大社の隣にも、眞名井という地名もあって・・・私的にもガイドブックで住所を知った時には、ちょっとこの偶然に縁を感じてしまいました。![]()
大分県の杵築市というところは、丁度大分空港がある国東半島という瀬戸内に突き出したような半島の別府湾側。
私は派遣の仕事で3年近くその町に住んでいました。
アパートは派遣会社が民間のアパートを借り上げて、寮として提供していたひとつで、元々の「きつき」という漢字は、確か木付ではなかったかと思うのだが、それを江戸時代・・・・
江戸へと出した書状の返事を、木付藩へ返す時に江戸のお偉いさん方が字を間違って書いた事で、相手には逆らえないとして本当の事は指摘できず。もうこのままで使っちゃいましょうとなったのが、現在も使われている「杵築」という字になったと聞いている。(笑)
以前の木付は当地を治めていた木付氏の名であり、戦国大名大友宗麟の大友家の家臣だったそうです。
字を間違った事で、偶然出雲大社と同じとなった。
なんとも珍なことですが、私的にはなんとなく嬉しい気もしています。
(出雲大社の左隣にある古代出雲歴史博物館にて・・・)
これ、目の前で見たままの大きさなんだが、![]()
これが何かというとね。平成12年の春に境内の八足門前の地中から出てきた。古代神殿の柱だと言われている。
太さは小柄な巫女さんが側にいても、人間が小さく見えるくらいの大きさだ。出雲大社は今のような形ではなくて、高さ48mおよそ15~17階建てビルに相当する。長い階段を持つ太い柱の上に建つ、本殿を望む古代神殿だったとの推測がされている。
写真のような大きな柱を3本・・・それを金輪で束ねた数本の柱の上に、りっぱな本殿があったと・・・、階段の長さは1町=約109mという記載まで残っているらしい。ただ本殿の高さまでは記載がなくて、高さが未詳とされてきた。
(宮司家に伝わる「金輪御造営差図」より)
今はこの柱が見つかった場所の足元には、ちょっと見梅の花の模様のような痕を付けて、ここで見つかったよと私たちに知らせてくれている。
後方に見えているのは神楽殿という建物。
昔は出雲大社の宮司の家である、千家國造家の大広間として使用されていた。明治に入ると出雲大社教の神殿としても使われて、祈祷や結婚式等にも使われているそうだ。
昭和56年・・・・
出雲大社教特立100年を迎えた折、規模を拡張して現在のような建物に建て替えられました。大広間は270畳・・・お城の天守のような破風正面に、これにはステンドグラスも使われているそうですが、この情報は頭になくて私も見てなかった。
破風とは、雨風から建物を守る役割を担った屋根の三角形の壁面の部分を指している。
(出雲大社のHPより・・・・)
とても残念に思います。![]()
次あれば確認したいものです。![]()
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ちなみにこの神楽殿から真っすぐ手前に歩いて来たら、銅鳥居というものがありましてね。一見黒っぽくも見えるんですが、出雲大社の神域の荒垣正面に建つ碧銅の鳥居と言われていて、これって寛文6年1666年6月に、あの中国地方の戦国武将毛利元就の孫・綱広の寄贈だとわかっているんだそうです。
今ではバスガイドさんらが、これを触れながらぐるりと巡ると、お金が入るとツアー客に言っているそうですが、これも出雲大社的にはまったくの嘘だそうです。(笑)
そうゆう逸話もないという事だ。![]()
なんでも楽しませたいツアーガイドが、考えた客を喜ばせる商売言葉の1つなんでしょうね。(笑)
踊らされないようにしましょうね。他人から見たら何してんだって、笑われちゃうかもよ。(笑)
皆さんわかりますかね?![]()
この大しめ縄のツンツンしたぶら下がるところ・・・・
何か沢山挟まれているモノのこと。
これね、実は大量のお金なんですよ。
なんでこんなところにって、本当に思いましたよ・・・・・
実際出雲大社の方でも、こうしたやり方は正しくないと、注意喚起をしています。訪れる人達は御利益を求めてなのか、それともゲン担ぎなのかふざけているのか?
よく西日本の神社でも、石の鳥居の上に手に持てるくらいの石を投げ置いている風景を見かけますが、あれもいつから始まったんでしょうか?少なくとも私の子供の頃は見なかったと思っています。
多分平成に入った頃から・・・・
そんな風景を見る度に、いったいどんな御利益があるんだと不思議に思うのですが、もし風でも吹いて石が飛ばされて、周辺や真下にいる人達の頭を直撃したら!私はそっちの方がよっぱど怖いと思うんだけどね。
多分それもなんの御利益もなくて、ただ外国のコインを投げ入れて願いを叶えようとするトレビの泉みたいなものだと思っているんです。
でも現実では、そのトレビの泉も大量のコインの投げ入れに、問題視されているようですよ。
初めは興味本位で、それを見た人達も真似てみようと・・・それが本当だと思うのだが、出雲大社でもHPにてお賽銭に使うコインの事でも、五円は御縁を呼び込むからとか、いろんなコインに対してもさまざまな考えがあるようですが、何の根拠もないとはっきり言いきっています。
心の持ちようなのでしょうが、気持ちを落ち着かせて真剣に手を合わせて祈る。それだけでいいんだと思いますよ。![]()
日本人はとにかく語呂やゲン担ぎが好きだからね。(笑)
私なんてコインが無い時には、ごめんなさい次に来た時には倍返ししますって、手を合わせてお願い事をする時もある。(笑)
人が沢山訪れる場所で、頭上にコインを投げてツンツンした場所に挟まれたら正解!みたいな事は、他の人にあたるという危険性もあるし、意味のない事なので止めた方がいいですよ。
思い切り投げられたコインって、けっこう当たると小石くらいに痛いと思うんで・・・・・。
鳥居の上の石も同じで、とんでもない数の石が積み上がったところも見た事があるけど、土台が石の鳥居といっても、やはり余分な重みが加わると崩壊してしまう事だってあると思うので、本当に気をつけて下さいね。日本人がやると外国人も真似るよ。![]()
ちなみに神様もその他大勢を相手にしているんで、ちゃんと手を合わせた時にはできるだけ、住所と名前も言った方がいいようですよ。
どこからきた誰々ですって、人にお願いする時だってそうゆうものでしょ。(笑)
この神楽殿の大しめ縄
注連縄というらしいが、長さは13,6m重さは5,2tもあるらしい。
制作して付け替える人達も大変だね。
出雲大社には独特のお参りの仕方があるけど、ちゃんとわかっている人ってどれくらいいるかな?
普通の神社とはそこがちょっと違っていて、それが最初に守られるべきことなのですが、それが拍手というものなんですね。
普通の神社では、2例2拍1礼だけど・・・・
出雲大社では2礼4拍1礼といったようなしきたりなんですね。
このやり方は、全国の八幡宮の総本山である大分県宇佐市にある宇佐神宮でも同じなんですよ。ここでは同じ場所に横並びで手を合わせる場所がありますが、最初の場所の横にはその事を記載した立て看板がありました。今もあると思うけど意外と気がつかない人もいる。
これもちゃんとした意味があってね。![]()
元々出雲大社では、2礼8拍1礼としていたんだそうです。
8という数字はよく末広がりだと、縁起がいい数字として人々にも好かれるけれど、これ・・・・神様を讃える数字として、出雲大社では昔は使われていたんだそうです。
現代では一年の内の最も大きな祭典である5月14日の例祭にて、人々が8拍するということらしいが、普段はその半分の4拍でも神様を讃えることになると、4という数字になったんだそうですよ。
そうなると宇佐神宮もそうなのかな?![]()
宇佐神宮は今年1300年という大祭の年で、先日も10年に一度しか開かれない朱の橋を渡って、天皇陛下の勅使の方が訪れていました。この橋・・・・普段は扉が両端についていて、硬く閉ざされているんです。外側からは川に架かるこの橋を見る事はできますけどね。
ちなみに出雲大社って、普段我々は「いづもたいしゃ」と読むけれど、本来は「いづもおおやしろ」と読むんだそうです。
まっ、そうはいっても「いづもたいしゃ」でいいでしょう。(笑)
遷宮の為のお金を納めたら、御礼に記念絵葉書を頂きました。
出雲大社では縁結びの糸を買ってきました。
まだ中に入ってますが、紅白の細い仕付け糸のようなものが、よれたように編まれていて、それがお守りのようなモノみたいです。
神社神道では神様に向かって右方を上位左方を下位としているのですが、これで言うならば右が始まり左が終わり。
しかし出雲大社ではその逆をいうそうで、神様に向かって左方を上位右方を下位としている為に、注連縄(しめ縄)を張る時も一般的なしめ縄の張り方とは異なっているという事です。
なので、本殿に参った後は御本殿周辺の垣を左回りに進んで、周辺にある各社をお参りするのが正しいと言われています。
私は本殿出た時点で普通に左手へ出てしまったんで、そのまんま時計回りに普通に周ってしまいましたけどね。(笑)
その時にまず目に飛び込んでくるのが、垣に沿った小さな社の数々。
そこに神様方が一年に一度集まり、全国の老若男女のあらゆる縁をまとめる事に奔走するんだそうですよ。
いわばこの小さな社は神様方の泊る宿。
10月は全国ではよく神様が皆出雲に集まってしまい不在となるからと、神無月などとした言葉がありますが、逆に集まる出雲では同じ10月でも神在月と言はれています。
そう、・・・・・今月多くの神様方が、今頃出雲大社に集合してやんのやんのと大忙しで、縁を取りまとめているんだろうなと思うと、なんだかいろいろと想像してしまうわ。(笑)
この模様を表した絵図を、古代出雲歴史博物館で見る事ができました。
神様「働いて働いて働かせてもらいます!」
どっかで聞いた言葉だなぁ~~、(笑)![]()
ではここいらでとってもありがたいそうゆう神様の姿を御紹介しましょうか。(笑)これは過去のブログにもあげた事があるんだけどね。![]()
出雲の国には今でもちゃんと神様がいるよ。
間違って右回りした事で、最後の場所で呼ばれたように振り返り見上げたら、高知のアパートのベランダから・・・・
昔見た事があった大きな鳥のような形の雲を発見して、なんかあの時の雲の形に似ているなって見ていたら、あっという間に雲の間から龍神様が姿を現してくれて、思わずカメラをかまえたのだが、当時は動画を撮ることをしてなくて、ただなんとなく連続して撮影はしたんですが、
どうみてもこうゆう形で下りてくる雲って、ちょっとありえないでしょ。
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時によく見れば足の爪が見えたり、頭をもたげたりうねっていたり・・・
頭の角さえ見えている。![]()
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立ち止まり見上げる私に気がついて、当時周辺で気がついた幾人かも、同時に目撃者となったとした事だった。
私の後ろに来た親子さんは、母親がふと
「ほら、龍神がいるよ」って言ったのが、やはりそう見えるよねと納得した事でした。私だけでなくて、幻でもなくて見えているんだなって、
その後も松江に引き返す時に、宍道湖の上の空には大国さんとか神々の姿が、いくつか見え隠れしてました。![]()
神様に喜んで迎えられたと思えた出雲の旅でした。![]()
きっと「ばけばけ」の松野トキならば、とんでもなく飛び上がって喜んだんだろうなと想像してしまう。(笑)![]()
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