この春から始まったNHKの朝ドラ
「らんまん」
物語の主人公は、私の故郷土佐の歴史人。
実は意外や意外・・・、多分土佐の高知で言えばこの物語の主人公である 牧野富太郎 の方が、あの 坂本龍馬 よりも知名度が高い人物ではと思っている。(笑)![]()
なんせ私の小学生から中学生の時代でも、国語の教科書で彼の物語を読んだ覚えがあってね。龍馬の事は一度も習った事も、何をした人かも教えられてこなかったのに、桂浜にある龍馬像よりも五台山にある 牧野植物園 の方が知られていて、牧野富太郎という人物がどうした人かという事も、多分坂本龍馬がどんな生き方をしたのか・・・
という事よりも有名ではと思っている。(笑)
富太郎が生まれたのは、丁度龍馬が脱藩した年なんやけどね。
それくらい近い時代の人なのに、高知以外の人からしたらどうしてなのよと思われてしまうかもだろうが、私も龍馬の事に興味を湧かせたのは大河ドラマが元だったし、2010年頃よりその龍馬の事を知って伝えようと、小学校でも冊子を作って授業の時間がもたれたと聞いている。 結局脱藩した人間の事は、土佐では封印されたままだったのか。![]()
一応龍馬の名誉の為に伝えておくが、よく知らない人が多いけれど県民の中には中高年を筆頭に、彼の活躍を学び歴史を楽しんでいる方々もいらしゃる。
若者が興味を抱いたのは、らんまんと同じ局で「お~い!龍馬」のアニメが放送された事が、きっかけだったという人も多い。
近頃の人は、やはり大河ドラマの影響が大きいのかな・・・
「らんまん」の冒頭で、突然主人公の少年が母親から聞いた天狗と思った人物に出くわしたシーン。
天狗とはその坂本龍馬だったんだけど、この登場シーンには視聴者から 何故? といった声もあがったそうだ。
同じ場所にいるのはおかしいと・・・・・
龍馬自身はその脱藩後の人生にて、謎の失踪日があるからね。
ドラマの中では連れの男らが、下関にいる事になっていると言っていたが、龍馬にとって下関の時代は脱藩中の人生の中では、一番平穏な日々が持てた時期だとも思っている。
妻の りょう さんとのラブラブ
の日も語られているしね。
謎の失踪日?の頃は、けっこう好き勝手に語っている作品もあるし、そこは御愛嬌だよ。(笑)![]()
跡継ぎとして弱いと言われて自暴自棄になっていた主人公を、昔の自分を見ているような目で聞いている龍馬。
ドラマの中では 万太郎 という名前で紹介されている牧野さん。
その彼の姉 綾 との関係は、龍馬と龍馬の姉 乙女 との関係を思い出させる事や、自分が何をしたいのかどうすればいいのか迷っているところに、龍馬は少年万太郎の道の見つけ方を教えてくる。
ところでなんで龍馬が 佐川 に住む万太郎の元に現れたのか。
まっ、いろいろあるんだろうが・・・・
実は佐川を治めていた大名さんは、土佐藩の 山内一豊 について共に古くから活躍してきた土佐藩筆頭家老 深尾氏
深尾氏は佐川1万石を領有していました。
ドラマ中で万太郎らが通った藩校への門へ続く階段は、その深尾氏の菩提寺ともなっている佐川にある 清源寺 の階段をロケしていると聞いている。 佐川にも何度か旅した事があったけど、まだその寺には行った事がない私。(笑)![]()
実際の藩校の門は、別の場所に移築して残されているといる。
土佐国内にて幕末 土佐勤王党 なるものが結成されて、何やら騒がしくなっていた頃。 高知の城下では 山内容堂 がその動きを封じ込めようと躍起になっていました。
活動が益々藩の命取りにもなりかねないとなった頃。
城下では勤王党の志士らが捉えられて、厳しく取り調べを受けたりもしていました。
その頃土佐国内には、山内家からのその為の命令が下されていたわけだが、土佐藩の筆頭家老で山内家とも深い関りがあったにも関わらず。なんと牧野富太郎の故郷佐川では、表向きは厳しくするように命令を出していたのですが、例えばそれぞれの屋敷内に座敷牢なるものを造り。 そこへ勤王の志ある藩に歯向かいそうな家臣の者達を閉じ込めて、監視下に置いていたにも関わらず。
深尾氏は実は志士らの気持ちにも理解を示していて、屋敷内であれば牢から出て暮らしても良いと、但し役人や監視人が来た場合は、牢に入る事を言い渡していた。
つまりよく見る牢の中での不自由な生活や食事も、普通に家の人間らとできたとした事だ。![]()
幕末の土佐において佐川の地だけは深尾氏の元、高知の城下ほどの厳しい監視も取り調べもなかったと聞いています。
まっ、高知城下からの誰かが来れば、パフォーマンス程度の仕置きはあったでしょうが・・・・![]()
万太郎らが通ったいや、富太郎が通った藩校の先輩には、脱藩後に龍馬の友でもあった 中岡慎太郎 の率いた 陸援隊 を、慎太郎亡き後に率いる事となった男。
田中光顕 の姿もありました。 光顕はある雨の夜に仲間と共に、佐川の祭りで人々が賑やかに集まり、監視の目が緩んでいる間に山の峠を越えて長州へと脱藩した。
これは有名なエピソードです。![]()
後に明治政府の 宮内大臣 まで上りつめた男で、深尾氏家臣の家に生まれた人でした。
武市半平太の道場に通い武市の言葉に胸を躍らせて、国を変えようとする勤王の志を高めていきました。
そんな人間がいた事を、富太郎は聞いたことがあったかどうかわかりませんが、私が通った佐川の 青山文庫 という建物があります。
この「青山」という名称は、光顕の雅号である青山に由来します。
この青山文庫とは、元々佐川の県内初となる私設図書館として、地元の社会実業家であった 川田豊太郎 という人間が川田文庫として設立したもので、田中光顕を積極的に支援するようになり、光顕が幕末に活躍しながらも忘れさられていくであろう同士や志士たちの遺品や遺墨など、光顕が各地から集めてきた勤王の志士たちのものをはじめ、寄贈本 朝廷関係の貴重な資料・・・、龍馬の手紙や勝海舟他井伊直弼の攘夷祈願文など、こんな小さな町の小さな資料館にこれほどの貴重なものが沢山残されている事に、本当に驚かされるくらいの展示物が保管されていて、期間によってテーマごとに公開展示をしてくれています。
書や絵以外にも実際使っていたものとか、ここ以外ではお目にかかれない本物がそこには保管されているんです。
ここは佐川を訪れたならば、是非行って欲しい場所の1つだと言っておきましょう。![]()
(ちなみに、青山と書いて「せいざん」と読みます)
その青山文庫の近くには、富太郎の名のついた 牧野公園 もあり、そこにも彼が愛した草花が沢山ある。
ちなみにこの公園は、桜の名所でもある。![]()
田中光顕や富太郎の墓もその近くにあり、多分今の時期朝ドラの影響もあり、今年の高知は賑わっている事だと思います。
ドラマで通っていた藩校も、少年万太郎に好奇心を植え付けた先生も、実在したものがモデルとなっている。
もちろんその名前は違ってますが、ちゃんと存在していたんですよ。
まだ窮屈だった土佐の地で、ドラマの中で見る様な生き方をみせた人達がいた事は、同じ土佐人としても嬉しゅうなります。![]()
先日は姉弟の祖母から、万太郎の嫁になれと姉の綾に言葉が投げかけられたが、そんなもん・・・今まで姉弟として暮らして来て、本当の家族だと思っていたのに、実は姉の親は別にいたと知らされた二人は、戸惑いそれはできないと祖母に返答をした。
姉は弟と違って、どうやら酒造りに興味があるようだが、この時代はまだ蔵に女子を入れてはならないと言われていた頃。
今でこそ各地でも酒蔵に女性が入って、酒造りを続けているとい竹雄も聞くけれど、私自身もそれが許されたのは何時なんだろうと思う程、まだ特殊な事なのだと思っていました。
どうやら現代では蔵に女性が入る事は、許されているんだね・・・・
私の考え知識も何時代の人なんだ・・・(笑)
ドラマを見ていたら、姉を思う万太郎のお目付け役である
竹雄 の姿を見ていると、なんだか「ベルばら」に出てくるアンドレとオスカルの関係を思い出して、ひとりニマニマしちょります。![]()
土佐のおなごははっきりせん男は嫌いじゃきん!
なんで言わんが![]()
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って、いつももどかしい竹雄の姿に、思わず声を発してしまう私。(笑)
「わしはおまんの事が好きじゃきん、好きでしかたないきん!」
それでえいがよって、いつか竹雄に声をかけられる日が来るかどうか、今んところは引いてばかりの竹雄に、アンドレの気持ちに気がついていたフェルゼンのような万太郎の応援に、いつか竹雄も綾の心を奪うがやろうか・・・・って、期待もしてるんやけんどね。(笑)
はよ行け!竹雄!!
って・・・・・
そうせんと、綾はどこぞの誰かのもんになってしまうぞ。
ちなみに嫌いな事や嫌な事には、これまたはっきり言う土佐のおなごです。(笑) 竹雄が撃沈する事がなければえいけんど・・・・一応土佐にも大人しい控えめな人間もおるよ。(笑)
なんか昭和なメロドラマみたいやけんど、こうしたやり取りにも時代を感じてしまうよね。もう侍の時代は終わっていたのに、まだ引きずっている日本の生活環境があるって・・・・
いっそ綾の婿に竹雄が入って、峰屋を継げばいいのにと思うけんどね。 祖母の タキ さんもまだ古い気質のままやから、なかなか考え方を変えられないみたいで・・・・
でも本当は、若い人らの気持ちもわかっているとは思うけどね。
世の中は変わっていくものだと・・・・、でも彼女も古い体質を残す峯屋に縛られて生きてきた人だけに、簡単には終わらせられんという事があるんだと思う。
いずれそれをぶち壊しにしてくれるのが、万太郎君というわけで・・・・
彼の植物好きな事への探求の為のお金が元で、峯屋は潰れてしまう・・・・。 と、佐川の人から聞いたことがありました。(苦笑)
こりゃまだオフレコながですが・・・・、
ネタバレ御免候
佐川は山内一豊の頃より酒造りの町として有名。
そこには今も高知では有名な日本酒のメーカーである、
司牡丹 さんがありますが、後々万太郎君ちの酒蔵はこちらの方へ譲渡されるという事で、峯屋の酒造りは今も続いているという事ですわ。![]()
万太郎・・・ではなくて、富太郎さんちの店の名前は 岸屋 という名前でありましてな。 土佐入国後に酒造りを生業する 御酒屋 というのが、その前身だと言われています。
屋号を 黒金家 と言って、坂本龍馬の本家でもあった
才谷屋 も酒造りをしていたという事で、その才谷屋さんとも交流があったとした記録も残されているという。
これらは司牡丹さんの事を紹介したホームページから拝借しました。
その富太郎さんちの酒蔵は、残念な事に平成16年の台風で倒壊したとの事で、今は残されてはいないのですが、富太郎が暮らした町の風景や雰囲気は、まだまだ沢山残されている佐川の町です。
実際町の中を歩いたり走ったり、ドラマの中でも佐川の蔵の町を使って撮影もされたそうです。
自分が歩いた事がある場所が、こうゆう風に映るんだなって見ていましたよ。
藩校の3人で行った仁淀川も、本当の仁淀川の風景であり、もろ私が脱藩する時に見ながら走った仁淀川の景色でした。(笑) そう、私が九州へ土佐藩を脱藩して来たルート沿いの川です。
佐川で今もそのままだったら、小さい昔懐かしいJRの駅舎が迎えてくれます。 車で行けば、青山文庫の建物下の駐車場にでも止めて、町を歩いてみるのもいいでしょうが、さて・・・・このGWはその駐車場もいっぱいかもしれないんで、町の指導に従って下さい。![]()
但し青山文庫への道はけっこう狭い道なんで、必ず譲り合う事です・・・
いっぺんは好きな事への道を諦めて、家業に精を出すとタキの前で伝えた万太郎だったけれど、ほんまに好きなものはなかなか諦める事なんてできるわけもなくて、自分らを見捨てるつもりかと万太郎に言葉を伝えた竹雄も複雑な思いだったけども、
今週の終わりのシーンでは、どうやらやっぱり好きを貫く覚悟ができたみたいですね。![]()
それでこそ土佐もんという事よね!
家は潰れてしまうけんど・・・・(^▽^;)
小さい万太郎君の後ろにいる同じ藩校の生徒。
広瀬佑一郎 と名前を聞けば、きっと北海道や秋田県の方も、どこかで聞いたような気がすると思う人もいるかもしれません。
彼はこの後東京の親戚の家にて書生として暮らし、北海道のあの有名な人がいた学校で土木工学を学び。 自費でアメリカまで行ってこれまた有名な橋などの建設にも関わる事となり、帰国後は日本の鉄道工事での現場でその力を発揮する人となります。
何故北海道や秋田と書いたかというとね。
実は今でも彼が関わった土木技術にて、現在も使われている港があるんですよ。 そこへ行った事はないけれど、きっと何かしらの碑が立っていれば嬉しいなと思うんだけど、まだなければ早う立てて・・・(笑)
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この碑は私がよく行く、大分市戸次の土佐の長宗我部の嫡男の墓がある地にあるものだが、この裏にはこの地で亡くなった
信親 への思いが綴られているけれど、それを言葉として残した人物は、実際にはこの地へ足を運んだ事はいないそうだ。
只人から歴史を聞いて、哀れと思う気持ちが文学というものへ、思いを綴る事となったという事だ。
その人の名前は、 森鴎外
実はこの人も、この先万太郎と関わる事にもなってくるのだが、果たして描かれてもらえるのかどうか・・・・。
土佐を今飛び出そうとしている万太郎こと牧野富太郎が、広い海を泳いだ先に何を見てどういった縁が結ばれていくのか。
それを知るのも楽しみな今季のドラマです。![]()










