戻された花嫁 名前のないお姫様 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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世の中には、何も幸せなお姫様ばかりではない。

おとぎ話の中に登場するお姫様は、まだ幸せな方だと思う。

 

ここに1人のお姫様がいました。

 

フランスの王家ブルボン家に、マリー・フランソワーズ・ド・ブルボン 

ルイ・フィリップ・ド・オルレアン との間に、5女としてヴェルサイユに生まれた姫。 ずっと男子を望んでいた両親は、その事に落胆してなんと

彼女は名前も付けてもらえなかった。

 

それ故人々からは、 「モンペンシエのお嬢さん」 と呼ばれて、やっと彼女がちゃんとした名前で呼ばれるようになったのは、スペイン皇太子との結婚が決まった時からでした。

 

結婚の調印書類にサインをする為に、彼女の名前は皇太子であり、

自分の夫となる ルイス と姑となる イザベル・デ・ファルネシオ にちなんで、 ルイサ・イザベル と名が付けられた。

ルイサは12歳で、夫ルイスもまだ14歳という若さだった。

両親から放任されて育った事で、文字の読み書きもできず、王家の姫としての行儀作法も知らず、やる事といえば悪ふざけや遊び・・・・

そして、飲酒を好んだという。

 

王妃となった彼女が、あまりにも愚かで子供じみた行いをし、時に公の場に泥酔して現れては、人々を驚かせてしまう姿に、とうとうある日夫

であり、 ルイス1世 として即位していた夫は、やむなく王妃をマドリードの城 アルカサル に幽閉という形で追いやってしまう。

 

その後ルイス1世は、王妃を開放したやるのだが、その数週間後に彼自身が、今度は 天然痘 にかかってしまい倒れてしまった。

 

ルイス1世の父親は、 フェリぺ5世 という名の知れた王だったのだが、その彼と最初の妻である マリア・ルイサ・ガブリエラ・デ・サボヤ の第一子として生まれ、小さい時から帝王学を学び国を治める為に必要な教育を受けて育った。 父・フェリペは精神状態が不安定で、洗練された教養を持ちながらも、時に政治に影響が出てしまうほどの重い鬱病を患っていたと言われている。 そんな父王の病の悪化に伴い、フェリペが退位した時彼はまだ16歳だった。

 

重い病である天然痘にかかってしまった夫を、それまで無邪気にふるまう事しかできなかった王妃であるルイサが、何故かこの時とばかりに必死になって、夫のルイスの看病をした事は、周りの人々も驚いた事だろう。 もしやルイサの無邪気さを、一番わかって許してくれていたのは、夫ルイスだったのかもしれない。 それ故に、彼女は突然まるで任務に目覚めたかのようにして、彼の病の看病をかってでたのかもしれない。 天然痘とは、高熱にうなされて最後は肉が腐って死んでいくような死の病。 本当ならば王家の人々が、直接世話をするような病ではないのだ。

 

ルイサは自らの感染を恐れず、懸命に看病をした。 だがそのかいもなくして、ルイスは 1724年 8月31日に亡くなってしまった。 

彼が正式に即位したのは、その同じ年の 1月14日 だった。

 

そうして気がつくと、今度はルイサ自身も、天然痘にかかっている事がわかった。 彼女の場合は、なんとか回復はしたものの・・・・・

父王フェリペと妃イザベル・デ・ファルネシオの命により、生まれた

フランスの宮廷へと戻される事となったのだった。

 

短くとも人々にとても愛されたルイス1世の時世は、スペイン史上最も短い在任期間で、わずか 229日 だったという。

王位についた時、まだ若くて未熟でもあった為に、父親が統治の手綱を取り続けていたことから、フェリペ5世の治世の延長とみなす事もあるというが、ルイスが即位していた事は間違いない事で、亡くなったのは18歳になったばかりだったという。 その後父親がもう一度復位すると、未亡人となってしまったルイサは、フランスへと戻されてしまう。

 

フェリペ5世も実はフランスはヴェルサイユ生まれ。

スペインは当時ブルボン家とオーストリアのハプスブルグ家との争いにあって、どちらがこの国を手にするのかといった戦いの中にあった。

結局は スペイン王家のブルボン と言われる結果となったのだが、フェリペの最初の妻は、あの ルイ14世 の姪の娘であり、13歳にしてフェリペと結婚をする。 若いながらも王が不在の時には、王に代わって摂政を務め4人の息子中ルイスとフェルナンド6世という王位を継ぐ男子にも恵まれた。

 

その彼女が亡くなると、次に迎えた妃がパルマで生まれたイザベルであり、パルマの家系では男子が後継者を残さないまま死亡していた為に、もしフェリペと結婚していなければ、彼女が後を継いだとした姫ともいわれた。 顔に天然痘の痕を残していたが、魅力的な肉体と気の強さで、王を思うままに動かして、前妻の子供達に辛くあたり、自らの子供らを王位につけようと必死だったという。 

 

結局彼女の息子がパルマを継いで、ブルボン=パルマ王朝 を創設したという。

 

夫の死後前妻の子 フェルナンド6世 の命にて、ラ・グランハ・デ・サン・イルデフォンソ宮殿に追放されて、その地で幽閉生活を送る事となった。 だが、フェルナンド6世が跡継ぎを残さずに亡くなり、いよいよ実子 カルロス が王位に就く事となったが、一度宮廷に戻どされるも余にも国政に干渉し続けた為に、再び追放の身となり隠居していたアランフェスにて亡くなってしまいました。

 

さて、若くして未亡人となってしまったルイサは、その後どんな運命を辿ったのでしょうか。 彼女はずっと独り身のままだったようで、パリのリュクサンブール宮殿にて、水腫により 1742年 32歳の時に亡くなったとあります。

 

王家に生まれて、待ち望んだ男子でなかったというだけで、親から名前もつけてもらえず・・・・、結婚先の家族となった人間から名前となる名を取ってつけてもらった。 読み書きもできず教養も教えてもらえず育った幸薄いお姫様。おとめ座

 

歴史の中には、そんな可哀想なお姫様もいるんですね。

 

 

彼女の名前を憶えていて欲しい・・・・・

彼女の名前は ルイサ・イザベル・デ・オルレアンスピンク薔薇