【悲痛】声なき心の叫びを聞いて!虐待された挙句に捨てられ、実験用動物となったシロの願い
飼い主に捨てられ、保健所や動物管理事務所に引き取られた犬や猫はどうなるのでしょうか?
実は、こっそり動物実験用に渡されていたという事実は、ほとんど知られることがありませんでした。
何十年もの間、全国で行われてきたこの悪習を大きく変えさせたのが、1990年の12月におこった「シロ」をめぐる出来事です。
シロは、飼い主に虐待され、捨てられ、動物管理事務所に収容された時は、まだ1歳くらいでした。
犬たちを待ち受けているのはガス室での察処分か、動物実験への払い下げです。
シロは、若くておとなしい犬だったために、都内の国立病院に実験用に払い下げられ、すぐに脊髄神経を切断するという、とてもつらい手術を受けました。
この実験室では、犬たちは手術後、どんな手当もしてもらえません。シロが手術後、傷口が化膿し、膿がたまっていても、医者たちは見にも来ませんでした。
手術で体力が衰えている上に、疥癬(かいせん)という皮膚病に感染し、全身の毛が抜け落ち、このまま放置されれば、死んでしまう寸前にまでなっていました。
シロを緊急保護して運んだ動物病院の獣医さんは「これはひどい!安楽死させた方がいいのでは…」と言われました。
シロはなぜこんな目にあわされたのでしょうか。
国立病院から保護された犬
国立病院から保護した犬の中にメリーというビーグル犬がいました。
メリーは最初から実験施設で実験用に繁殖させられた犬です。メリーは1歳の頃、製薬会社で医薬品の毒性試験に使われました。
毒物に苦しめられ、なんとかうち勝って生き延びたというのに、今度は外科手術の実験台にされるために、この病院に送られてきたのです。
メリーも、シロと同じく脊髄の切断手術を受けていました。けれども、実験をした医師が転勤したために、実験したことさえ忘れられ、5年間も小さなゲージに入れられたままでした。
飼い主の愛情も世話も受けたことがないメリーは、いつまたひどい目に合わされるのではないかと怯えるばかりの、とても悲しい目をした犬でした。
私たち(動物愛護団体)は、国に動物実験の現場でどんな動物達が無慈悲に取り扱われているか、そしてそのような実験が研究者たちのモラルを大敗させ、また税金を浪費するばかりであることを訴えました。
実際、この国立病院は、十年以上も前からずさんな実験のあり方が新聞で報道されるほど、近隣の人々や患者たちの批判をあびていながら、なんの改善を行っていなかったのです。
シロ事件が起こるまでの十年間に200頭以上の犬が実験に使われていましたが、5年前から研究論文もなく、報告書さえ出されていませんでした。
とうとう、国はこの病院での動物実験に対する補助金を打ち切り、この実験施設での研究は「終了」となり、施設も閉鎖されました。
シロやメリーは、払い下げの廃止ばかりでなく、密室の中で行われる動物実験の無益さ、残酷さを社会に問いかけたのです。
声のない動物たちの訴え
瀕死状態で保護されたシロは、あたたかい世話を受け、健康を回復することが出来ました。
実験の後遺症は残ったものの、ふさふさと白い毛がはえ、見違えるように愛らしい犬になりました。
そして、田舎の自然の中で幸せに暮らせることになったとき、思いもかけず、不慮の事故で死亡しました。12月24日、クリスマスイブの夜でした。
シロは実験室から生還してわずか1年しか生きることは出来ませんでした。推定年齢わずか2歳の短い一生です。
けれども、シロの存在は、毎年何万頭もの犬や猫たちを実験の苦しみから救い出す大きな力となりました。
このことは、日本の犬や猫たちをめぐる歴史の中で、忘れられない大きな出来事の一つであるに違いありません。シロはきっと、そのために役目をもって生まれた犬だと思います。
メリーもまたやさしい飼い主のもとに引き取られ、実験の後遺症に苦しんだものの、やさしい家庭で穏やかに暮らし、推定16歳で亡くなりました。
こうしている今もなお、シロやメリーのような犬たちが毎年何万となく、実験室の中でつらい苦しい目にあわされています。日本には、残酷で無意味な動物実験を無視して止めされられる仕組みが、まだ何もありません。
声のない動物たちの訴えに耳を傾けてみましょう。
そうすれば、これから私たちが何をしたらいいか、
きっとわかると思います。
ALIVE代表 野上ふさ子
「ずさんな動物実験の実態をあばき犬猫の実験払い下げを廃止させたシロ事件をふりかえって」より
(本文まま)
動物実験により失われているたくさんの命がある現状。
シロを始めとする、病院で実験と称する虐待を受けていた動物の心情を思うと心が張り裂けそうになります。
動物実験が生命現象の理解を促し、 医学・医療の発展に大きな貢献をしてきたことは紛れもない事実です。
だからこそ、動物実験は「必要悪」であると考える人がいることは理解できます。
しかし動物も我々人間と同じ命を持つ生き物です。
彼らの尊い命を犠牲にしてもいい理由など、どこにあるのでしょうか。











