2019.09.01 リライト。
かつて私は常に誰かへのラブレターのようにブログを書いていた。
あなたなら、解ってくれるでしょう?って。
これはまだ見ぬ誰かに向かって。
私の思想に対して何らかの価値を抱いてくれる誰かに向かって。
でもそろそろ、外野とか下らないこと氣にするのやめて自分に集中したほうが、いいのかも知れない。
「私の氣持ちを誰かわかってください。」
とわざわざ言わなくても分かってくれる人は勝手に分かってくれるのだから。
母親でいたいときもあって、母親を忘れたいときもある。
仕事に救われるときもあって、仕事のことを忘れたいときもある。
しごと。
辛いから忘れたい、やりたくないと思うしごとは、死事なんだろう。
自分を殺して我慢料として対価や、義務を果たしたという安心感を得る。
福祉のしごとも、主婦としてのしごとも、辛い瞬間は、「死事」をしているのだろう。
自分を殺してしごとをしているんだ。
証拠に、楽しい氣分のときは、しごととプライベートを分けたいとは決して思わない。
分離したペルソナ(分人)を統合していく時期が来たのか?
仕事、つかえること。
私事、わたくしごと。
志事、こころざし。
違いなどない。ぜんぶしごと。
違うのだとしたら、ただの自分の在り方。
本当は全部、同じ。
自分がやるべきことは、全てしごと。
自分自身の曇りが、澱みが、なくなれば、いいのに。
選んだ苦労に、やらされている感満載で、ふてくされモードとか、ガキかよ自分。
つまらない、やりたくない死事をしている自分を
いかに生き返らせるか。
家事も、義務も、面倒ごとも、本当はいくらでも楽しく出来る筈なのに。
もっと楽しくするには、どうしたらいい?
他人を気にしすぎてる?
常に自分がやりたいことをしている筈…という意識。
思い出して行こう。
ブログで愚痴を言ってるうちは、ノートにツラツラ書いてるうちは、私は掘れていないのだろうか?
掘って掘って掘っていく作業で愚痴が出ることはあるだろうけれども、
掘る作業に集中していたら、副産物(愚痴)なんてどうでもいいものである筈。
愚痴も怒りの罵詈雑言も、もっともっと深いところに隠してあるものから出た膿でしかなくて、
出てきた膿を深追いしても意味がない。
不滅の阿頼耶識(アラヤシキ)は暴流のごとく、絶えず変化しながら続いていく。
想像(創造)的に、なる為に。

