2018.09.16

頭に浮かんだことをとりとめもなく書いていたんだなぁと。




有害な優しさってある。
時に、責めて貰えないって辛いよねえ。
自責するしかないから。

 
優しいだけの人って、物事を変える力はない。
いつでも物腰が優しいことはとてもズルいことだと思うし、性根は優しくない。弱いだけ。


ひたすら優しくあるということは、単に怒ってはならないという強迫概念に沿って行動しているか、思考停止で怒らないと愚鈍に決めているだけ。


そうでないのならば、怒る必要があるときを適切に判断できる筈。
 

怒らないと決めているのは、ものを感じても、感じる自分の心を無視するということ。


自分自身を無視しているし、相手のことを無視している。
相手に興味がなくて、端から諦めている。
一才の期待をしていない。


無視ってこの世で一番冷たい。
怒らない人に囲まれると、その人も周りもどんどん可哀想になる。膨張していく。
別に激しく声を荒らげなくてもいい。
感想くらい言えよ、と思う。



あらゆる場所、そこかしこに存在する卑怯者に、いつも苛立ってしまうのは、
本当はわたし自身が
ズルい人間でいたいから。

 
猛烈に嫉妬する。
必要であることを知らなければ楽だった。


柔らかい物腰の、柔らかい言い方以外の
優しさも必要で、


単純な優しさに逃げるのを辞めてみないと
停滞した状況を変える
革命の魔法が使えない。
 

自分と、他人と、
本気で向き合ったことのある人間だけが、
「その場」「その人」のバランスを欠いたツボを捉えることが出来、適切な言葉を選べる。


経絡を捉えると、血が一気に巡る。
まあ、逆恨みもされることもあるけど。
 

普段から自分を無視しつづけて感覚が鈍麻している人がそれをしても、ピントが外れる。
 

常に自分を感じることが出来てないといけない。
その土台がある上で、感覚を研ぎ澄ます。
それが出来れば、マニュアルは特に要らない。
 

人間性は成熟しているに越したことはないが、
必ずしも成熟していなくても、未熟なままでも、それを自覚出来ていれば足りる。


未熟な親、支援職、教師ですらも存在理由がちゃんとある。

 
出会いはその人の学び。
例え存在自体が公害のような人間との
出会いでも、意味がある。
 
 

他人に対して
前向きに生きろとか、
もっと頑張れだとか、
言っても意味がない。


自分自身が心から求めて、自分からそうしようと心から思って、行動しないと全く意味がないし持続しない。
 
 
勉強と同じ。
やらされた勉強は辛いだけ。


だけど、子供の頃勉強が好きではなくても
大人になって心から学びたいことがあってお金を出してまで学ぶ人がいる。


人には必ずワクワクしながら学びたい分野がある。その人が心から学びたいときに学びたいことを自ら学ぶべきである。
 

感謝の気持ちと同じ。
感謝することが義務になっているから、幸せがどんどん味気なくなる。
心からじんわりとありがたいなあと感じたときだけ感謝したらいい。
 
 
何事も無理矢理強制的にやらされたら、嫌悪感やら、どす黒い感情やらが渦巻くだけ。
 

好きなように生きていたら堕落してしまうように感じるかも知れないが、心を大切にしていれば、実はそんなに人間は堕落しない。
 

人は、他人の笑顔を好むように出来ている。心が満たされていれば、特に教えなくても他人に譲れるし、感謝も出来る。
 

堕落するのは、自分の本当の声を無視し続けた(母親などに無視され続けた)、怒りと絶望の結果なのだろうか?
 

その人のやりたいタイミングがある。
今は他のことで忙しいのであれば、邪魔してはダメなんでしょう。


それがどんなに、不毛で、無益で、それどころか有害で、悪循環の螺旋に自ら飛び込むような行為であったとしても。