2018.03.21
…懐かしい。文章が青臭くて中二病で面白いからそのまま載せる。
今、苦手だった香りのお香を嗅いでいます。
お彼岸なので。
泣きそうです。
浄霊されてるかしら。
自己分析しました。
その香りを嗅ぐと劣等感を刺激されるのです。
ありのままの自分を私はダサイと思っているんだろうなあ。
自分を精一杯生きることが先祖供養って言葉を色んな人が異口同音で言っていて、私もそう思う。
人には家系の業に挑む権利がある。
輪廻の、螺旋の外へ飛び出せる可能性を持つのは、生きている人間のみ。
大人が子供に未来や夢を託すように、先祖も生きている人間に託している。
悲しすぎる出来事を、それも愛であったということに出来るのは、ちゃんと、螺旋の外に出てからでないと無理だと思う。
理屈をなぞったポーズだけではなく、実感的でないと意味がない。
時に誤りであるとされる方を選択して、体験してみないと分からないことがある。
それは、単純にそれが間違いではなかったということを体験する話だけではなく、痛みや喪失、失敗の体験、後悔や絶望などからリカバリーする一連の体験を含めている。
私はいつも弱く、辛いことから直ぐに逃げてしまう。
嫌な体験をしているとき、意図的に自分を解離させてしまう。
だから、いつまで経っても成長しない。
しかし、成長しなくてはならないなんて誰が決めたんだろう。
成長しなさい、という価値観の押し付けの横暴さに、わたしは飽き飽きしている。
成長したい奴だけ勝手に成長すれば、良いだろうに。
とまあ、少し反抗期。
弱くない人間は、弱い人間の気持ちがどこまでも分からないから、いつもさみしさを抱えている。
私は弱いから、寂しくないな。
だから私は弱いことを選ぶ。
救いようのない凄惨な出来事があったとして、
誰かを、運命を、神を、自分を、恨まずに居られないとして、
それで何年も闇に堕ちていたとしても、
その時間を私は無駄であるとは全く思わない。
必要な、無駄な時間だったんだ。
生きてさえ、いれば。
寿命まで生きなきゃあダメだ。
専門書や教科書、経典、聖典を読んでそこに書いてあることをなるほどなと思って実行するのと、自分で気が付くのと、
どちらが価値があるか。
そりゃ体験に決まっている。
知識マウントを取ると…カッコつけるほど、カッコ悪くなるよ?
誰に、何に、祈りますか。
誰の祈りを栄養にしますか。
与えられた命で、
どのように、生きますか。

