前回の記事を書いたあと、
今年発売されたDIR EN GREYのアルバム“PHALARIS”
を
聴いている日々。
わたしの、表現の原点。
アルバムの中で、
特に聴いているのが
アルバム後半の
“響”
“御伽”
“カムイ”
という曲なんだけど
歌詩を書き
歌う
京さんにとっての
愛や命
それは、
わたしが思い感じている
愛や命とは
まるで視点や重さが違うのではないか、と
聴きながら
そんなことを思う。
カムイという曲の中で、
「捨てられた愛を拾う人生なんです。」
とあるけれど、
この言葉が
厚みのある音と迫り来るような音と共に
わたしの中に残った。
京さんは、
軽やかにとか
楽しくとか
楽にとか
その対極にあるような
一見、人が自分の中にあることにすら見向きもしないような
捨てられてしまいそうな
無かったことにされるような
無視された心というか
あったことすら捨てたことにすら気づかなったもの
そんなものにも視点を向けている。と感じる
視点を向けているというか
それを感じる感性と表現力が凄まじい。
ふわふわふわふわとなれば、
底にあるものにすら
気づかないようなものを
誰にも気づかれなかったものを
わたしこそ、
京さんの表現に拾われた一人なのだと
そう思う。
アルバムの“響”の中で
洗っても取れない現実
と
愛された記憶を抱え
声を枯らして
とあるけれど
わたしも、
胸を掻きむしるように
声にならない叫びで泣いて泣いて泣いた
あの日々が
行き場の無かった感情が
体から突き抜けるような感情が
京さんの表現に救われて
今に繋がっているな、と思う。
希望に満ち溢れたものも
人を照らすのかもしれないけれど
それだけでは、
深くに届かない愛や光も
時にあるから
キレイなだけではない
わたしというものを
持っていたい。と思うんだ
自分の中の軽いも重いも
その極端に感じる振り幅も
どちらも、わたしなんだ。
その中で、わたしは生きているんだ。
8月に、
うちの店に来てくれたスタッフも
DIR EN GREYを知ってて
わたしのDIR EN GREYが好き
京さんが好きに共感してくれて、
「分かる人とか、分かり合える人とそもそも中々出会わないから、嬉しいー!!」
「マイナーですもんね」
みたいに話してたんだけど
メジャーだから好き
マイナーだから好きとかじゃないけどさ
自分が好きだと思えるものを大切に出来ること
自分の中にあるものを消さないこと
自分が本当に表現したいものを表現すること
心が動くものに出会えること
感じたことが言葉になること
表現になること
これって、
命ある喜びだな、と
そう思う。
漏れなく
わたしの中を
余すことなく
表現できたら
と思うけれど
時に
完璧には言葉になりきらなくて
だからまた
それでもまた
この命がある限り表現したいと思うのだろう
この命がある限りわたしの身体に響く表現に出会いたいと思うのだろう

