息子の出来事のときのわたしを感じてても

いつもそうなんだけど。




わたしは、いつも
親目線、ってよりも


ひとりの人間のわたし。としての関わりで子どもを見る気持ちの方が強いなぁ、って。







だから、
親として。の世間の線引き。とか
親として教育すること、とかなると
なんかわからなくなったりして。







もちろん、
世間のルールとか
社会でやっちゃいけないこととか
それはあるんだけれど



それを教えるのも
親なのかもしれないけれど







経験で免疫が着く分もあるのか




昨日、まず連絡もらったときも


「大丈夫な気がします」って職場で言ってたら


「え?何の根拠??驚き
どうしてそう思うの?凝視」と聞かれたんだけど、





どうして?を答えるのは難しいんだけど、
大丈夫な気がしたのと、
公園か家にいる気がした自分の感覚というか泣き笑い






職場の中では、
もっと心配しなさいよー!って感じだったかもだけど泣き笑い






ただ、お店に行ってたとか
お店の出来事は想定外だった!泣き笑い






わたしは、
子どもにあれこれ怒れるような
立派なことを言えるような人ではなくって


自分の小学校時代の
やらかしたエピソードも
昨日の息子を怒ったり出来るものでもなく




なんなら、
内心
「え?!そんな発想があったの?泣き笑い」と
面白がる目線のわたしもいたりして爆笑






それでも、
社会で生きていく中で
伝えないといけないこともあるなぁ。って
それが、わたしには難しく感じたりしつつ








わたしは、
子どもを形にはめて怒りたいわけではなくって




知りたいのは、
その中にある気持ちだったり
出せなかった部分だったり
感じたことだったりなんだよね。






そして、
怒りたいとか、
これダメだよ!って
縛り付けたいわけじゃないんだけど、



自分もいろいろしてきた中で、
しちゃいけない。って感じるものって
これは、いけないことだったかも。って感じたものって






たとえ、
周りにバレなかったとしても
親にバレてないように感じたとしても




自分の体の中に残ってるんだよね
バレなければ、
なおさら自分の心に残るのかもしれないなぁって







だからね、
悪いと思うこと
悪いと感じること



全く人生の中でするな。とは思わないし



その中で
学んでいくこともあると思うし








ただ、
やましさが
自分の体に残るようなものは


バレなくても
隠しても



自分の中に残る




何かで自分が反応する






それは、
苦しさにも繋がったりする。










そういう面で、
気持ちを話してくれたりとか出来る関係性でありたいな。って思うし






健やかな心
健やかな器であって欲しいなと
幸せでいて欲しいなと





それは、
わたしの目線からも
親心からも
どちらからも、思う。













そして、
子育てしながら
感じるよ。


わたしの体に染み付いた子育て観も
旦那さんの体に染み付いた子育て観も。




それは、
それぞれに子どもの頃に
親から躾られたり
注がれてきた言葉や、想い。
大切にしてきたもの。





体に染み付いてる。


体に受け継いでいる。

 



それが、
旦那さんの葛藤のようにも思う。








その中で、
これまで染み付いてきたものに縛られすぎずに
個を尊重するということを
体に巡らせている今な気がしている。