昨日、ライブの前に
ここのテーマに
書こうとしては手が止まり
書いては手が止まった





何もまだ文字の書かれていないところから落としていくひとつひとつが


うーん。なんか、
しっくりくる表現にならない。ってなって






恨みつらみだとか、
なんていうんだろう、
表現が、わたしには乏しくなってしまって。


で、あんなことがあった、って
出来事をつらつら書きたいわけではなくて







事実は小説よりも奇なり。とか


こうやって書くという表現が
リベンジポルノ
のようだ
みたいな言葉が浮かんだけれど



手が止まった。










そして、
Aimerのライブに行きながら

ライブ中も
頭にはまだ書きかけのものがわたしの中にはあって




わたし、
ブログを保存や下書きで溜めていく、ってことをしないから、
書きかけがわたしの中に残ってた。








だけど、
だけど、





ライブ中に
わたしの中からも
いろんな言葉が溢れた





もう、
ここのテーマでの、表現はいいよ。


もう、ここのテーマで書かなくていい。




書かないから、って

すぐに忘れるわけではない。
すぐに忘れたりなんか、出来ない。


それで、いい。






あぁ、
恨みつらみ
表現の乏しさに
手が止まったけれど





憎しみが募るほど
心をひらいていたんだ。



憎しみが募るほど
ほんとうは、好きだった。





何でだろう?って、
どうしてこんなにもひらいたのだろう?って、

わたしが、
わたしの感性を
飾らないわたしで
感性をひらいて
表現する場で出会ったからだ。





いちばん、
わたしの感性を表現できるのが
安心して出せるのが
ここだったから、
そのわたしを出して
出会ったからだ。って
気づいた。









相手が表現の場で表現することに、
拗ねたり
文句を言ったりなんか、したくなかった。


表現に対して、
そんな感情を持つ自分が、
かなしかった。





それでも、湧いた。

だから、関わりはもう、持てない。
それは、
相手がどう。じゃなくって、
わたしの反応。






その人にはその人の、
考えがあって、
届けたいものや
心にひっかけたいものや
大切にしたい表現がある。




わたしには、わたしの
大切にしたいものがある。








ここのテーマに直接的に書くのは
おわり。



でも、わたしの中にあるものは
表現から、滲む。

わたしの感性に溶ける。







いつか、
心から体じゅうからしあわせを願える日まで。