おばあちゃんの
仮通夜、お通夜、葬儀、火葬
終わりました。
1日の夕方、
横になるおばあちゃんを見たときは
「容れ物のようだな」って
感じたんだよね。
ここにいるけど
ここにいない
容れ物のようだな。って
もう、
鼓動が動いていなくて
血が通っていないのだな。って
その日は帰って、
久しぶりに
死化粧師という漫画を読みたくなって、
読んだの。
この漫画で、
エンバーマーという存在を知ったんだけどね
お通夜のときには
おばあちゃん
とってもキレイになってた。
桜色の紅をして
お顔も眠っているようで
派手な化粧、とか
そうじゃないんだけど
なんだろうね、
美しいな、って
キレイだな、って
なんか
感動したんだ。
その美しさや
穏やかな顔は
遺族の心に柔らかく触れて癒す。
仮通夜やお通夜で泊まらせてもらえる
葬儀場のその部屋は
とても広々して
寛げて
わたしも
子ども達やお母さん
おじちゃん達と泊まらせてもらって
そのタイミングで届いた
いづみさんの艶桜という香りも
連れて行った。
この時間を
想いを
愛を
受け取ってきたものを
刻むように
お通夜での
印象的だった言葉があって
生きるも歓喜
死ぬも歓喜
という言葉。
生が亡くなって、
どこに行くんだろう。って思ってたけど
生命は無くならない
肉体を離れても
宇宙の中にある
って言葉に
あぁ、
生命すら、無くならないのか。
生きるも死ぬも
歓喜なのか。
って、
なんか、わたしそのものに響いたんだ。
お通夜が終わって、
部屋に戻ってからも
何度も
何度も
何度も
何度も
おばあちゃんの顔を見た。
この目に
心に
焼き付けるように。
心の中で
おばあちゃん。
おばあちゃん。
ありがとう。
を何度も言った。
今日、
お葬式の前に
係の人が
もう、
お顔が見れるのは
最後になります。
最後に、
想いを話してください。
一方的に感じるかもしれませんが、
聴覚は最後まで生きていると言われます。
と。
聴覚は最後まで生きている
そうなの?
聴覚って、最後まで生きているの?
わたしの身体で確かめる術は
今は無いけれど
それなら、
最後の最後まで
ありがとうを
声に出して伝えたい。
そう思った。
葬儀の中で、
これまでのおばあちゃんのいろんな写真が
美空ひばりさんの川の流れのようにと共に流れた
生きることは旅すること
幼いわたしが
おばあちゃんと写った写真が
たくさん映し出された。
娘と
わたしと
母と
おばあちゃん
4人で写った写真もあった。
わたしの娘を抱きしめ
見つめるおばあちゃんの瞳。
おばあちゃんがいたから
繋がれてきた、命
おばあちゃん、
お母さん、
わたし、
娘
それぞれ、30歳ずつ違うんだけど、
在りし日のいろんな写真に
もう覚えていないくらいの幼い頃
確かにおばあちゃんの腕の中にわたしがいた
享年99歳
最後の最後
話しかけようとしても
「おばあちゃん、、
ありがとう」
そのたったひとことふたことに
涙で言葉が詰まる。
仮通夜とも
お通夜とも
また違う
おばあちゃんの肉体とのお別れを
この目に映す最後を
感じた
お母さんと
頑固で
こうと決めたらブレなくて
強くて
幸せな人生だったね。
と
語り合った。
全てのことは、
おばあちゃんにしかわからなくても。
おばあちゃん
ありがとう。
おばあちゃんの孫に生まれて
幸せだよ。
命を繋いでくれて
ありがとう。
一度こうと決めたことは
最後まで曲げない芯の強さは、
多くの苦労を乗り越える中で
自然と身についたものなのかもしれません。
どんな時も気丈に
前だけを見据え、
家族を守り抜いてくれました。
命のたすきが
孫やひ孫達へと繋がっているのも、
母の頑張りのおかげに他なりません。
元気だった頃は
孫達をとても可愛がってくれて、
毎年皆で一緒に九州旅行を満喫しました。
思い出を一つひとつ振り返るほどに
別れの切なさは募りますが、
今はただ、
彼方でゆっくり休み
積年の疲れを癒せるよう願うばかりです。
『追悼のしおり
在りし日の日々を偲んで』より
おばあちゃん
また会える日まで
大切な人達と
命を謳歌して
今を精一杯生きていくよ。
おばあちゃん
本当に
本当にありがとう。











