昨日、この記事を書いたあと

DIR EN GREYの曲を聴いたり
曲を聴いたり
動画観たり


インスタ見たりして
インスタ、投稿をみないタイミングだと
間が空いちゃうから





京さんの投稿みて






毎回、
ギャップ!!と心の中で勝手に反応してしまうんだけど、


優しい。




でね、
この投稿にまた、
わたしでは読めない、
いろんな国の方が
その国の言葉で綴っていたり


いろんな国の方が
日本語で一生懸命
文章を送ったりしてるの。





なんかわたしは、
そうやってでも

伝えよう
届けよう


伝えたい
って姿に
いつもぐっと来るんだ。






わたしも、
もっと
伝えたい、
伝えよう、
そんなチカラをもらう。










んぎゃーー!!目がハート目がハート目がハート
安定の美しきシルエット目がハート目がハート目がハート





そして、
なんとライブだったんだねー目がハート目がハート目がハートって思っていたら、














昨日の夜、
3年半ぶりのアルバムが出るって通知来て










かっっっ!!!!

もう、心臓止まって
息忘れそうなったわー!!!





う、、、嬉し過ぎ、、、えーんラブラブラブラブ
嬉しみ
楽しみ


あぁぁ、生きる楽しみが増し増しに、、、!えーんラブラブラブラブ





もう3年半たったの??




だけどもさ、
前にリリースしてくれてるものも
20年前からの曲も

今も聴くから
ライブで進化していくから


ちっとも色褪せることがなくて


また、新たな曲達もわたしの細胞に刻まれるのだと思うと、
もう、ドキドキして言葉にならない







好きな曲を
何度も何度も聴いたりしながらさ、




その中で



隠しきれない傷と
満面の笑みで
語りかけ

つぶらな瞳
闇を照らす答えが欲しい
空像に口無し

流れた刻は
平等に問う  生き方


降り積もる願い
散れば愛おしく
誰もが見ようとしない
その花束が
見詰めた未来



この曲を聴きながら


バンドのコンセプトである
痛み
を感じて



この曲が入ったアルバムのコンセプトである
根源を感じて







今
花束が置かれる結末ではなく


救えた命があったかもしれない


救えたかもしれない命
救いたかった命


ひとりの人の闇を照らしたかったその心
守りたかったひとりの命
心を伴う生き様




京さんの詩からは
そんな想いを感じる。








京さんは
いろんな曲の中で

何度も胸を打ち付ける


拳で
マイクで
手のひらで


ドンドンドンっと
バシバシバシっと






それがいつも


ここに生きてる

お前の心を生きろ

お前を生きろ




「生きろ」
「生きる」
「生きてる」





わたしは、
そんなメッセージを感じる






「叫び生きろ
私は生きてる」






わたしがこんな生だからか、
時折、

深い部分も曝け出してもらうときもある。





「すごく、
消えたくなってたんです。」って

だけど、
「ゆかさんの言葉で、
ゆかさんの香りで、

わたしは
胸を掻きむしってでも生きるって

これがわたしだ。って」

と
そんな言葉をいただいたりもする。







出していいよ。って思う。


抱えるにはひとりじゃしんどい
だけど誰にでもは言えない


感情の振り幅が広く
時折、自分でも持て余すものを


こんな感情は、
誰にも分かってもらえないのではないか、
誰とも分かち合えないんじゃないか、


そう感じるものを

出したっていいよ。って思う

思っていいんだよ。
感じていいんだよ。






生きるために出来る傷もある。
それは、体に限らず心もね


愛するがゆえの痛みもある。




そんなのダメだよ。じゃなくて

そのまるごと
いいよ。って
出せる人がひとりでもいる


出せる場所がひとつでもある




それが、
生を繋いでいくことを

わたし自身が自分の命で自分の心で
知っている


知っているより、
信じている。んだと思う




そこから
自分自身のチカラを取り戻して
癒えていったらいい


癒えきらないときは
生傷と一緒に生きたらいい



その豊かな感受性は
必ず自分自身のチカラになるし
きっとまた誰かのチカラにもなる


そう信じてやまないんだ