若い頃と
今とでは
男性に求めるものも変わったように思う
年齢や経験を重ねた変化なのか
ひらいた先の変化なのか
昔、
わたしは、
自分は男の人を癒せる。と思っていた
だけど、
無意識の我慢や自己犠牲の癒しは、
いつも自分が1年過ぎれば枯渇した。
女は男の人にいろいろしてもらうのは当たり前。という意味ではなく、
女性が自分を知り
自分で幸せでいることは、とっても大切
もちろん、
男性から与えられる幸せ。というものも
あるけれど
女性がひらき
源から湧き出るものは枯渇しない。
ズレたとしても、
「あ、今ズレたな」と気づける。
「乾いたな」って、気づいたら
また、潤せる。
今は、わたしは「癒そう」だなんて思って
癒しはしない。
ひらいた先に
男もまた脱ぐ
社会的立場で背負っていたものや
奮い立たせなければ保てなかった鎧とか
プライドとか
脱いで
ただのその人になる
ときに弱さを見せ
無防備になれる男性もまた
柔らかく
強い。と思う
淫らなわたし
オンナなわたし
母性で包むわたし
ただのわたし
その表現は
しようと頭で思っても出来ないものだから
ひらき合い
曝け出し合い
慈しみ合い
求め合い
どちらの体温か
どちらの想いかわからないほどにひとつになる瞬間は
美しいな。と思う
昔、
性癖とはSかMだと思っていた。
それも越えて
包括して
ただ
心を脱ぎ
心を重ねる
そこに、生命力が漲るエネルギーが巡る
欲情も
癒しも
愛しさも
全てがある
パートナーシップで
怖いのは
怖いと思っていたのは
過去に縛られ
囚われる自分がいたからだ
壊すのが
怖いから
だけどね、いつだって
今の自分と相手を見たらいい
別に
脱がなくたっていいのだよ
だけど、わたしは
脱いだ心と心で触れたい
ただのわたしと
ただのその人で