わたしのセクシャリティの根源になっているものに、辿り着いた
それは、
両親だ。
母だ。
わたしが初めてセックス(だとあとから)を知ったのは、
小学校中学年のとき。
父と母のその場に居合わせたとき。
わたしと弟と母が寝ている部屋に
父がしたいときに夜中訪ねてくる
母が応えないときは、
しばらく母の枕元でじっと待つ父
するか、しないか
するときは嫌々仕方なく母が受け入れる(ように私は、感じてた)
おざなりな愛撫に
ただ挿入して射精する
男の排泄的なセックス
そして、学生時代のある日、
母から父に宛てた手紙が置いてあり
わたしは、見てしまった。
父が見るよりも先に
父が帰ってくるよりも先に
そこには
「もう二度と夫婦生活をすることは無いでしょう。だから、離婚したいなら離婚してくれていいです」と書かれていた。
夫婦生活(セックス)をするか、しないか
セックスしないなら、離婚するか
0か100か。
わたしの、夫婦の形は、
知らず知らずそんな風に刻まれていた。
そして、
幼いながらに、
誰にも言えず、傷ついていた。
傷ついた、とすら
言えなかった。
だけど、
そんなわたしがいた、と
今、わたしが知ることが出来た
だから、きっと嫌だった
恋人から夫婦になり
夫婦という形のセックスが
わたしは、とてもいいカッコしいなとこもあるから
子どもに性のことはどう伝えようとは考えるけど
自分自身のを見せたいとは思わないし
旦那さんの服がボロボロに破れまくってるのも嫌だし笑
子どもが寝てる横でセックスするのも嫌
だから、
日常生活の中にさくっと、てよりは笑
デートしたりとか
日常の中でのやりとりとか
大切にしたいんだろうな
そして、
それを伝えたら
その先に叶えるか叶えないかは相手次第だけど
きちんと叶えてくれようとするんだろうと
そう思う
きっと、
母も0か100だけじゃなくて
そのときを精一杯生きて
選んでいったのだと思う
「もう二度と」のあの言葉は
両親の日常に溶けた
わたしは、
0か100かだけじゃなくて
離婚か
我慢か
とかじゃなくて
それ以外の道を知りたかったのだと思う
わたしの根源を見て
知ることで自分が癒された
きっと
全部が癒される
きっと
自分の本当の願いを感じることが出来る
そして、
伝えたい。と思ったときには
きっと、伝えることが出来る
そう思う