昨日は、お仕事からくたくたで帰ったあと




鏡に写った自分を見たら
とっても美しいと思った(造形のことではなく)
疲れていても、
内側は満たされているのだな、と思った





昨日の新規のお客様を紹介してくださったお客様からラインで
「ゆかちゃん、時間外で遅くまで本当にありがとう。
とっても喜んでました!
妹も連れてきたい!って言ってたよ♡」
ってメッセージをくれて
とっても嬉しいと思った♡♡











この記事の最後に

外側を一致させることにエネルギーを注ぐのではなく

形があってもなくても








愛する人と共にありたい
共に生きたい
好きな人に側にいて欲しい
好きな人の側にいたい




それが願いなんだな






湧きてきた気持ちを許すことが自由

湧いてきた願いの源は
すべて繋がってる






そう書きました









そのあと









あるがままで生きる、とは何だろう?




本当の願いを見ようとするときに
願いを直視するのが怖かったのはどうしてなんだろう?



と思った







それって、
頭の中のうるささだ

そんな願い、えー??!
ダメダメダメ
怖い!
困る!
大変ー!!

みたいな
まだ起きてないマボロシだ





あと、願いを直視したら
動かなきゃって考えるからだ



べつに、
不動で
ここで感じるままでいいのだ





在り方を決めて
真ん中にいる



湧いてくるものを受け取って

湧いてくるものを受け取って

許す


真ん中でそれをしてこなかったことが、
同じとこをグルグルしてただけ








もう、疲れたんだ
もう、出来ないんだ


頭の中に合わせて
コントロールして
外側を一致させること






あぁ、そうかぁ
コントロールして一致させることに
疲れたのかぁ



あるがままの自分で生きる、ということは、
外側の一致にコントロールするエネルギーを注ぐことをやめる、ということだ









昨日の夜は

寂しさと
いろんな想いがこぼれて


そっと子宮に手を当てた






ほんとうは、こうしたかった

ほんとうは、こう思ってた


ほんとうは

ほんとうは



ほんとうは





その思いをひとつひとつ

ただ自分で受け止める






なんにもくっつけない

いいも悪いもくっつけない



嫌だって感じることも
思っていい



それがすべてを受け容れるということ







外側のコントロールをやめて
内側に注ごう
溢れさせよう♡




その感覚に降伏しよう
委ねよう





あるがままの自分で生きるとは

あるがままの自分で在るということだ