ここのところ、わたしの中で“嫉妬”という感情を考察したり、体で感じる感情を観察したりしてた。





ここで言う嫉妬は、
男女関係でのそれ。






もしかしたら、嫉妬って、
そのときの自分の状態に物凄く左右されるのかもしれない。と思った






もしかしたら、女の人は
“寂しさ”と“嫉妬”が複雑に絡み合うのかもしれない。
とも思った








これは、体感で感じたもので、
まだ考察途中・観察途中だけど、

寂しさは女の人の方が強く感じて
嫉妬は男の人のほうが強く感じるのかな?
と思ったの

どちらも湧く感情だけどね









それは嫉妬は外に向くイメージで
寂しさは女の体の穴にあるものだからかな

体感のイメージね






ここでも嫉妬について触れているけれど、
ちゃんと自分が自分に目を向けてたり、
相手が自分を見てくれてるのが伝わってると、
嫉妬って和らぐのかもしれない。







嫉妬も
ライトなものやヘビーなもの、
嫉妬の質の違いってあるよね。




自分を見失ってるときは色濃く出るというか










なんていうか
相手がどうとかじゃなくて、
自分がどこを向いてるかのバロメーター
だと思った





















そして、
今ノートに書き写したりしながら読んでてね





もう、ノートに書き写しまくりなんだけどね、

そもそも「性」という字は
「心」を伴って「生きる」こと
本当は、心を伴わなければ、
セックスは成立しないもの


肉体と心は「つながっている」という表現ではまだ足りない


それぞれに共通した「意(こころ)」が備わっている


特にセックスについては、「体自身に意(こころ)が備わっている」ということを肝に銘じておくべきだろう
自分にとって大切なことは、体で表現しなければ意味がないのだ。
そして逆に言えば、まったく大切でない、
本当は消し去りたいようなことを
体に表させていたら、体が泣く


心に思うことと、体で表現することを、
嘘偽りなくピタッと一致させなければ運命は動かない

 
“運命の人”は誰にでも生涯に1人ずつとは限らない。
ただし、そうした出会いにも「永続向きの縁」と「卒業すべき縁」とがある。
そうした見極めを、体の関係にも反映させることが、人生の筋を通すことになるのだ


交わるべき相手と、交わるべき時と所が自然に胸に落ちてくる


「全身全霊の行為」
体の奥深いところで波長の合った相手と、
目に見える肉体だけではなく、
目に見えないエネルギー体としてのオーラや
胸の裡(うち)に抱える魂なども引っくるめて、
自分が持っているすべての器官を使って全力で一つになろうとすること。
そういう交わりであれば、
一過性の快感とはまた違った、
底深く、事後まで長く残るセックスの歓びを体感することができる。
だだしそれは、よほど感受性を研ぎ澄まして、交わる相手を心をこめて選ばなければ、実現できるものではない


女性は自然の体現者
新しい命を腹から産み出す力を持っていること
月経という規則正しい自然サイクルを体が表現するようにできていること
男性たちは、女性の力を頼りにした。
自分と世界とを結びつけてくれる、その力を。








もしかしたら、
わたしの中で「卒業すべき縁」があるんだろうな。






“嫉妬”の話題からだいぶ逸れたけど、
根っこはどれも繋がってる。








何だか書きながら、改めて体があることの凄さを感じちゃったな









恋愛関係だとかセックスとかもさ
本の引用みたいなものもあれば
もっともっと人間くさいものもあったりさ

どっちも体現しながら


ときにきゅっと胸が締めつけられたり
感情の痛みでうずくまったり
そんな感覚を味わいながら


感情が揺れ動いたとき
わたしの感性も溢れるのを感じながら







意(こころ)を備えてる体の感覚を羅針盤に
ぜんぶ味わって進んでこう