日本の場合には、機会の平等が言われることが多いかな。
大学受験で話をすると分かりやすいので、書きます。
大学受験のときに、男子であっても、女子であっても、平等に試験で評価し、入学者を決めるのが機会の平等です。大学により男子が極端に多くなってもいいのです。同じ試験で合格者を決めるわけですから。点数をとったほうを合格にするということです。
以前にある医学部で、女性を受からせないようにわざと面接の評価をさげていたりしました。これは機会の平等に違反します。大騒ぎになり、今は機会は平等になったはずです。
結果の平等とは、男女の比率を同じにするようなことです。たとえば、大学入学者の定員を男性半分、女性半分に最初から決めてしまいます。試験受験者が多ければ、合格率があがり合格基準があがります。男性は入学が難しくなり、女性は簡単になる(ときにその反対も)あっても、それは関係なく結果が半々になるように合格者を決めることです。
米国の大学の場合、入学者を結果の平等にそって決めます。つまり、白人〇割、黒人〇割、アジア人〇割と最初から比率を決めてしまうのです。これを機会の平等で、優秀さで選んでしまうと、アジア人だらけになるからと言われていますね。
議員の女性比率が少ない。よくこう言われますよね。解決方法は簡単です。男女半々と定員を最初から決めてしまえばいいのです。これが結果の平等です。でもそうなると優秀な人が議員になれず、あまり優秀でない人が議員になってしまうという問題もでてきます。それで議会の議論がうまくいくかどうかですね。
国会議員は選挙が複雑なので難しいですが、地方議員だったら、簡単に実現できると思います。
日本は従来、機会の平等を大切だと言ってきました。「平等にしよう」という言葉の裏に、どっちの平等をさしているのかを考えないとならないのです。どっちも平等なんですよ。