かわっちゃんです

 

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その人のためだけにクレヨンで絵を描き

スピリチュアルリーディングで

その人の未来やこうした方がいいと思われることを

感覚として共有したりして、人生やお仕事の相談に乗ったりしています。

 

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『現在(2018年)から僕が産まれる前』までの話を、全10話でお話します。

ちなみに僕の人生は5話目で始まります。6話目以降は僕が生まれる前になります。

 

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【1991年~2006年頃のお話です】

 

実は、僕が人生で

最も思い出したくないのが高校生活なんです。

 

僕は、私立のとあるマンモス高校に通っていました。

ある先輩が芸能人でいて、その方がある音楽番組で、まるで軍隊でした、とおっしゃっていました。

 

 

 

 

学校はマンモス学校で3000人以上、中学生もいましたからもっとです。

 

 

校則は恐ろしく厳しかった。

 

髪は入学初日に、その場でバリカンされたりする人もいます。

従わないと連行です。僕も初日に連行されました。

 

入学式で、髪を突然先生にわしづかみされた時は、何をされたかわかりませんでした。

 

 

 

僕は1年の半年をテニス部、そのあと学校の方針で部活を途中で辞めると

反省で丸刈りとなります。その後草むしりをする部活に入ることが義務付けられます。

その後、美術部に入りました。

 

 

写真がほとんど残っていないのですがみつけたのがこの写真。

 

 

 

 

3年生の時には、もう、ものすごく、ぶすくれていました。

同級生と仲良くするとか、超無理でした。

 

 

 

 

僕は当時とにかく読書ばかりしていました。

 

 

高校の勉強がバカバカしくて

哲学書ばかり読んでいました。

 

 

理由は、大人に勝つためでした。

社会や人間の本質を知ろうと思ったんです。

 

 

 

 

親ともこの頃、とても険悪でした。

進路のこと、自分の未来。

 

 

全部間違っている道を歩んでいることだけがわかっている

全部間違ったことだけが起きていてみんなそれを信じている

僕の言葉や行動はどこにあるんだろうどうしたらいいんだろう

 

 

 

 

 

そして大学に入ります。帝京大学に入り実家から片道4時間かけて通いました。英文学を学びました。

でも1年で日本大学に入りなおしました。その頃まで親父と毎日喧嘩していました。

 

 

なんかその頃。

本当はアートの道に進みたかったのですが、

どうしたらいいかわかりません。

調べる方法も聞く方法もわかりません。

 

 

先生は嫌いだし大人も同級生も嫌いだし

美術の塾も行かせてくれないし、なんか悶々としていました。

 

 

 

働くことも親父は許してくれず、

働くなら勘当だ、までの騒ぎにまでなり、僕が折れました。

 

もうわけがわかりません。

 

 

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え?働くために学ぶんじゃないの?えーー??

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です。

 

 

 

そして入ったのは商学部会計学科でした。

親父は僕に税理士か会計士になってもらって、事務所を開いてもらい、

その事務所に自分のお客さんを入れて仕事をしたかったんですね。

 

 

 

 

でも僕は、芝居をしました。

4年間とにかく勉強そっちのけでそれしかしなかった。

 

 

 

奨学金で生活してお金は全然なかったけど、

もう楽しくて仕方なかった。

 

 

 

 

学校の電気ブレーカー落として体ごとふっとんだこともあった。

 

同じ劇団員を手作り照明の灼熱地獄で、死に至らしめそうになったこともあった。

 

 

 

 

 

 

この時の仲間のお陰で

とにかくはちゃめちゃに笑った。

 

僕は高校の時

言いたかった言葉や、

当たり前の人との付き合い方、感情みたいなものを

受け取る方法が少しづつだけどわかり始めました。

 

 

 

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【そして就職】

 

僕の大学4年生の時は、就職氷河期でした。

 

 

働くつもりはないと当時決めていたので

やっぱりここで親父と喧嘩になります。

 

またいつもの勘当の話が出てきます。

 

 

 

 

なんか3社ほど受けました。

 

 

1社、テストでトップだったらしく

是非うちに来て下さい、と総務部長から

個別で頼まれた会社に就職することに決めてしまいました。

 

親と仲良くしておきたいし、そのうち辞めようと思っていました。

 

 

 

(当時とったばかりの車の免許写真、大人しそうな子です)

 

 

 

 

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【じゃあ、何の為に働くんだろう??】

 

 

僕は、メーカー系の物流子会社に入社しました。

 

 

 

1年目は現場で真っ黒になってアルバイト同然で働きました。

 

 

 

社員は

サングラスの方、

パンチパーマの方、

指のない方、巨漢、武闘家、など多様性を極めました。

 

 

 

ここはサーカスか、動物園か、というくらい面白い先輩たちがいて

仕事場が、本当にこれ以上にないくらいの劇場でした。

 

中には仕事が本当に出来ない人がたくさんいました。

数が読めない人もいました。

 

でも、働けました。ムードメーカーとして迎えられていたりしたんです。

それがゆるせる仕事の環境が本当にすごい、と思ったのを覚えています。

 

 

 

 

 

でもこんな光景や

(イメージ図です)

 

 

 

 

 

こんな光景が日常でした。

(イメージ図です)

 

 

 

 

 

倉庫内の応援作業があり、ひとつの作業がおわっても次、次、次、と帰れません。

僕はものすごくタフでしたが、先輩方はもっとタフでした。

(イメージ図です)

 

 

 

その後、営業職とは名ばかりの本社配属の現場勤務。

 

僕は24時間電話が鳴りっぱなしの仕事を渡されます。

当時つきあっていた彼女にも愛想をつかされ

何をしているんだか本当にさっぱりわかんなくなりました。

 

 

 

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【九州のじいちゃんが死んだ】

 

 

大好きだった宮崎のじいちゃんが、そんな時に亡くなりました。

宮崎にいって、僕もなぜか高熱を出して倒れてしまった。

 

 

じいちゃんの棺をみんなでかついで行くとき

死んだじいちゃんから、熱にうなされながらも、声がしたのを覚えています。

全然不思議だとは思わなかった。

 

 

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千恵子(僕の母の名前)を頼んだ・・・

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熱なのかなんなのか

もう涙も嗚咽も止まんなくなった。

 

 

僕は九州のじいちゃんが好きでたまらなかったんです。

 

 

会社とお客さんからの電話が鳴りっぱなしでした。

 

 

おれ、本当に何してんだっけ・・・

 

 

 

その後、もう辞めようと思っていました。

心臓がとまると思ったんです。呼吸も浅くやばいと思っていた頃でした。

 

 

じいちゃん、俺も死ぬかも・・・

 

 

 

 

 

会社が早期退職制度を行い、多くの大好きな先輩が辞めていきました。

 

 

 

これが僕に逆にやる気を吹きだたせました。

 

 

バカにするのもいい加減にしろー!!やめるかボケー!

 

 

 

 

やる気になって、同僚や先輩たちと毎晩のようにお酒を飲みまくりました。

当時、年配の先輩などと、お酒が飲めることが気に入られる方法でした。

 

 

 

 

しかし、どんどん悪い友達も増えていきました。

僕は頼られると全部おごってあげていました。

 

 

当時、飲み代で、300万円くらいの借金をこさえました。

 

 

なのに、何もうまくいきません。

 

 

 

自分にぽっかり空いている穴ばかり大きくなります。

その正体がわからずお酒に全部頼りました。

 

 

 

 

 

 

 

1か月で、58kgだった体重が、75kgになりました。

 

 

僕の素行が狂い始めました。

 

 

 

会社でも出社せず連絡途絶えて行方不明になること数えきれず。

気付いたら道路の分離帯で寝ていることもありました。

 

 

 

しかし口だけは、一丁前でした。

自分が真実って感じでした。大馬鹿野郎でした。

 

 

 

 

 

そのうち社長が僕と話をきちんとしてくれるようになりました。

 

なんか、その頃よく死んだじいちゃんとも話をしていたのを覚えています。

 

 

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【いきなり抜擢された】

 

 

変わった社長だったと思います。

僕は自分のしたいこと、考えていること、会社を変える為に必要なことを全部話しました。

 

時に灰皿が飛びました。資料も破られますし、散らかされました。でも僕は聞いてほしかった。

 

ある年、「社長直轄の平社員」に抜擢されました。

 

 

僕は社内のパートナー提携や

コスト改善、新規事業等のプロジェクトを手掛けるチャンスをもらえました。

 

 

 

僕はこの変わった社長(そして超おっかない)に

ものすごく愛してもらい、仕事を一から教えてもらいました。

初めて、この会社に入って、仕事を教えてもらったのが、社長でした。

 

今でもたまにお会いしてお考えを仰いだりします。恩人です。

 

 

 

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任期が来てその社長が去る時、僕はみんなの前で、わんわん泣きました。

 

 

大人でしたけど、最後の日

僕はどうしたらいいんですか・・・とずっと子供みたいに泣いていました。

 

 

 

 

 

 

僕は人生で初めて

人から物事を教わる実感を得ていました。

 

人間がとても好きになれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はその後、

ある会社との合併が起きた時

新規事業コンクールに入賞し、1000人近い人の前でプレゼンをしました。

 

 

 

 

その去っていく社長は、置き土産に

 

川島をその合併した会社の担当にするように

 

と次の社長に指示して去りました。

 

 

 

 

 

 

 

その後事業部設立を企画し

10年間、尊敬する愛する先輩たちと事業を成長させるという

とても大きな経験を得ることが出来ました。

 

 

 

 

 

高校生から持っていたモヤモヤした気持ちが自然と先輩や仲間のおかげで

すべてひとつの形になっていけた事。

 

 

 

思い返すと全て

誰も僕をさえぎってなんかいやしない。

 

僕が選んできていた道だったと

思えます。

 

 

 

 

次の話は、僕が産まれてからのお話です。⇒こちら★

 

 

 

 

かわっちゃんこと 川島庸(かわしまいさお)
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【かわっちゃんの2018年・今年の目標】

「お絵かき遊び教室」を作ること

「奥さんと2回目の結婚式」をすること



 



【かわっちゃんの夢】

人が生まれきてよかった、と思える世界にすること


 





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