埼玉県戸田市で発達障害やコミュニケーションに悩まれている方がたと
アートとからだの遊びで楽しい時を作り上げていく、

アトリエDECOぼこミチの川島庸(いさお)です爆笑

 

 

 

前回の続きです。

 

 

前回のブログはこちら

 

 

ホンモノ経営塾さん34期に入塾中です。

 

誰にでも、特技はある。

でもそれは自分で知っていること以上に

周りが知っている。

 

とっても愛にあふれた言葉でした。

 

 

僕はそれを正確なかたちで認識するための

世界そのものの認識の仕方を間違えていました。

 

 

世界と言うのは、つまり、この世界空間、

私が今まさに、生きている、この世界です。

 

僕は、すでに42歳です。

42歳で気付けてよかったと思うべきか。

42歳で初めて知ったのか可哀想にと思うべきか。

42歳には見えませんと思うべきなのか。

 

 

年齢はどうあれ、気付けて良かったんです。

 

気付けなかったら、ずっと同じところにいましたし

そもそも人生でこれからつまづいた時におそらく

昔から起きていた過ちと同じ過ちに、デジャヴュしていたと思います。

 

 

この気付きとは、

僕に、依存、があった、ということです。

 

 

告白しますと

僕は、息子は幸せになれないと

心のどこかで感じていたこと。

 

これがわかりました。

そんなことを感じていたことに

自分自身が気付いていませんでした。

 

 

 

 

そもそも息子は

自分の力で幸せになれないと考えていましたから。

 

 

でも、語弊もあるかもしれませんが

僕は、僕なのです。

息子も、息子なのです。

 

川島庸は、川島庸なのです。

川島佑太は、川島佑太なのです。

川島庸は、川島佑太ではないし、

川島佑太は川島庸ではないのです。

 

 

川島庸は、

そもそも、自分自身に自分が気付かない特技があるにも関わらず

息子の知的発達障害を、自分の存在のありか、居場所にしようとしています。

 

 

自分自身の力で生きていけないのは、何を隠そう『私』自身だったんです。

 

 

もっと言うと、

僕の中身は、空っぽ、だとわかりました。

何にもない。

 

僕のまんなか、僕のコアになるものが、からっぽ、でした。

 

だから、知的発達障害の息子を中心にして、自分と妻、とのつながりや、

自分の世界を存在させていました。

 

あろうことか私はです、

 

息子の障害を、

私自身が

世界で高らかに伸び伸びと生きていくための

自分自身の存在意義を見出す為に利用していたんです。

 

 

指摘されたのではありません。僕が自分で言葉に出して言いました。

 

 

驚きでした。と共に、納得しました。

そして肩の荷が降りました。

 

 

僕には、僕の良さがある。

僕が僕の人生でやること。

でもそれは、息子が幸せに生きていくこととは関係ない。

 

 

 

僕の世界の前提が変わりました。

 

 

 

肩の荷は降り、

顔もほがらかにますますなりました。

妻もよかったねーとか言います。

 

しかしながら

一家の大黒柱が、

本人の生きる大前提を変えてしまいました、のです。

 

 

1人だけパラダイムシフトです。

1人だけ旧ソビエトです。

そのことを妻は認識しているのでしょうか。

 

 

さて、私はそして

我が家はいったい、どうなるのでしょう。

 

 

 

(続く)