福岡県 鞍手郡 鞍手町の音楽教室![]()
みずま音楽教室
学校に行くことが楽しいと思える子たち
お勉強が楽しい
授業科目が面白い
部活が楽しい
友だちといることが楽しい
好きな子に会えるのが嬉しい
信頼できる先生がいて安心する
給食の時間が楽しみ
そこが子どもさんにとっての居場所であれば、それはそれでとても幸せなことだと思います
もしかすると(さまざまな事情で)お家にいることや、ご家族と一緒にいることが辛いというお子さんもいらっしゃるかもしれません
そういった子たちのある種の駆け込み所が学校であり、救いの場であれば幸いです
では、その学校に自分の居場所がない子たちはどうすれば良いのでしょう?
学校・学校内のコミュニティ・学びの体制・子ども(お友だち)・先生・集団に馴染めないことに息苦しさを感じている子たち
悲しい思い、辛い思い、苦しい思いをしている子たちに対して
「学校に行くことが全てじゃないよ。今は休憩しても良いんじゃない♪」と正面から言ってあげられる大人はどれくらいいるでしょうか?
このご時世、その言葉を言うために『勇気』が必要だという大人の方のお気持ちは分かります
何故ならば、『言わない・言えない』がマジョリティだから
今いる属性やこれまで当たり前だと思い込んでいた概念を変えること…つまり変化に対して人は強いキッカケと恐れない勇気が必要だからです
私はさまざまな子どもたちと接してきました
学校へ行くことに苦しさを抱えている子たちに対して「学校へ行くのは当たり前。」とはとても言えません
その当たり前ということができない子たちは『何か不適合な子』なのでしょうか?
不登校にならないように気をつけるって、その子は何か悪いことでもしているのでしょうか?
敢えて言うならば、その子は何より『生きること』を選択してくれたのです
それだけでも「ありがとう」だと思います
そんな中
学校へ行けない子たち
行かないと決めた子たちの居場所作りに、学校とは別の場所…強いて言うならば習い事の教室や塾があっても良いと思うのです(これは以前にもこのブログで綴らせて頂きました)
社会との繋がりを切らないこと…
習い事教室も小さな社会の一つです
習い事の先生とその子だけの時間は、『自分のお部屋から離れてみる』という、とてもとても近くて短い旅の時間であり、成長の時間です(お子さんと保護者さまが物理的に離れる大切な機会でもあります)
その中でその子がイキイキと輝いたり、ホッと息を吐けたり、泣いたり笑ったりできたら…もうそれで充分だと思いませんか?
ある生徒さんがレッスンでこんなことを話してくれました
「あ〜あ、ココを間違えたぁー!惜しかったーー!
でも、先生!ココはめっちゃ上手かったと思わん?上手かったよね‼︎自分ってサイコーじゃない⤴︎」
不安感や恐怖感が強くて身体反応が出ていた子が、ココまで開けっぴろげに気持ちを解放してくれている
私の伴奏が間違ったら「大丈夫、先生!ドンマイ‼︎」と励ましてくれる(^_^;)
居場所=安全基地
その安全基地の中で子どもらしく…ではなく、その子らしく、アナタらしくいられること
私は最近特に“子どもらしく”という言葉に強い違和感をおぼえることがあります
“子どもらしく”って一体なんなのだろう?と
それって大人の押し付けと“大人が”安心感を得るための言葉でしかないのでは?と思う時があります
社会との繋がりとその子の安全基地が確保されていれば、いつかその子のタイミングで扉を開けて歩む日が来ると、私は思っています
遠くから見守る距離感と温度感
いざとなればその子の手を握って、向き合って、話し合える距離感と温度感
この緩急とその緩急を理解して実行してもらえる基地作りや基地探しは大切
でも緊急性を求められている場合は、躊躇なく専門サポートを活用すること
そして当事者を支える方にこそ、ご自身の心身のSOSを見過ごさないこと、そして距離を持つこと
状況に応じて“アナタなりの工夫”を見つけてみてください
誰かに対しても
自分に対しても
支援とは“生きていく工夫”だと私は思います
その“ワタシなりの工夫”を見つけられることが大事なのです
その工夫の中に“学校へ行かない”という選択肢があることと、それを選択したお子さんの存在を決して否定しないように…
そして否定する側を保護者さまと身勝手に限定するのではなく、その環境・空気・構造を生み出しているモノが『ワタシタチが生きるこの社会なのだ』、という1人1人の自覚が必要なのだと思います
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募集の際は告知させて頂きます♪
