大昔のお話を…
私が以前いとこのYちゃんが住むロンドンへ行った時、Yちゃんの息子君はまだ小さくて、移動の際や状況に応じてベビーカーを必要とする年齢でした
ベビーカーに座った彼も今や大学生!
私も歳を重ねるワケです(^_^;)
Yちゃんはせっかく日本から来てくれたのだからと、旅行会社もビックリなくらいに様々な観光地を案内してくれました
イギリスを飛び出してフランスにも2回行った!
ユーロスターに乗ってパリ観光をしたり、Yちゃんの旦那さんがお酒好きなので郊外へワインの買いだめに便乗したり(笑)
本当に楽しかったし嬉しかったし有り難かった〜( ; ; )
そんな素晴らしい数々のアテンドの中には息子君同伴の時もありました
その息子君との移動時…地下鉄に向かう時や地上に出る時の階段の登り下りの際、又バスの乗降の際に通りすがりの男性方が必ずベビーカーを抱えてくださるのです
それはもう100%と言ってもいい確率で手を差し伸べてくださり、“こなれ感”というか“それが当然!”とでもいうような所作でした
私は渡英する度にこの光景に出会い、とても感激し、今でもその事は鮮明に焼きついています
そして“コレは日本にはない光景だ”とも痛感しました
先進国と言われるこの国では「子どもは国の宝だから皆んなで大切に育てる!」という感覚や、子育てをするお母さんやお父さん、保護者が何か困っている時に個人レベルでさり気なく手を差し伸べる事がなかなか定着しづらい国だと思います
それは子育てに限ったことではなく、『支える意識・支え合う意識』だったり、この社会と自分も含めたこの社会の中に生きる人たちへの意識・関心が私たち1人1人の中にあるのか?ということに尽きると思います
手を差し伸べる行為
一歩を踏み出す行為
一声かける行為
目線を配る行為
心に留める行為
“自分じゃなくても誰かがやってくれるでしょ?”ではなく、『支え合うことの意識』がきちんとその人の中に呼吸をするように根付いていていれば、それは躊躇なく動き出せると思います
そうした個々のレベルでのサポート意識の定着って、残念ながら日本人にとっては『歴史』と言われるだけの年月の積み重ねが必要である気がします
とはいえ先月、こんな場面に遭遇しました
それは鞍手町でのこと
道路工事のため片側通行になっているところを車で走っていましたら、視線の先に(道路脇に)自転車ごと倒れているおばあちゃまが見えました
!(◎_◎;)
実はそこ、人通りも車通りもある道路で(つまりたくさんの人がいた)、オマケにおばあちゃまの近くにはその様子を自転車に乗ったままただ眺めているオジサンがいる…(~_~;)
だけど誰もおばあちゃまに駆け寄る人がいない(TT)
私は目の前のコンビニの駐車場に車を停め、そのおばあちゃまの所に急いで駆け寄りましたが、タッチの差で通りがかりの自転車に乗った小学生の男の子3人が、倒れているおばあちゃまと自転車を起こしてあげているではありませんか!
おばあちゃまは「ボクたち、ありがとうね。」と何度も仰って、彼らは自転車で去って行きました
私も「大丈夫ですか?どこかお身体を打ったりされていませんか?おケガはありませんか?」とお尋ねすると「大丈夫です。ありがとうございました。道路の段差に自転車のタイヤがとられて…」と恐縮するような口調でゆっくりとコンビニの方へ自転車を手押ししながら向かわれて行きました
“後からどこかしら痛みが出たり体調を崩されないと良いけれど…”とおばあちゃまのことを思いつつも、おばあちゃまを助けてくれた小学生の男の子3人組の優しさと素晴らしい連携プレーに頭の下がる思いでしたし、手を差し伸べる若い子たちが鞍手町に存在することを嬉しく、そして誇らしく思いました
小学生のあの子たちが手を差し伸べるという人としてあるべき姿を見せてくれた…
あの子たちに「ボクたち、おばあちゃまを助けてくれてありがとうね!」と、彼らの行動に対して何も言えなかった私のおとな気のなさといったら…
とても情けなく恥ずかしい…
結局私の意識も低いということで
ワタクシ、反省中…
