私が中学生の時、
どういう経緯で座禅を組みに
禅寺に行ったのか?
詳しく思い出す事は出来ないのですが…
クラスの皆に座禅を体感して欲しいという、
中学3年生の担任たっての願いだった
のでしょうか……
座禅を組みに行きました。
1人の教師の個人的な希望だけで
執り行われた行事。
今の時代に、同じ事をすれば
場合によっては、批判され炎上しそうな
行動のように思われます。
しかしながら、
当時は、この先生との信頼関係が
非常に強くできあがっていたのでしょう、
全くそのような批判はありませんでした。
座禅は、ご利益を求めません。
そのが今流行りのマインドフルネスと
違うところです。
例えば
ダイエットのために走るのではなく
ただ走るために、走る
ただそれだけのためのもの
Seiko さんの表現どおり、
不登校はただ学校へ行かない
ひきこもりはただそこにいる
それだけ、それ以上でもそれ以下でもない
私が中学生だったあの時、
先生が何を感じて欲しかったのか?
この年齢になって
ようやく理解できたように思います。
当時の光景は今もなお
記憶に残っています。
そんな経験を
時を経て目覚めさせてくれた。
担任の先生と
そしてSeiko さんに
感謝!!