この話は中学生の時に家庭科の
先生から聞いた話です
内容が虐待と言っても過言で無い為
感受性の強い方 虐めを経験された
方はスルーされる事をお勧めします
昭和18年頃の事
関東は連日の米軍の攻撃に合い
明日の命の保証は無い‼状況下
せめて子供だけでも安全な場所へ
避難させるべく地方への学童疎開
が行われた
農業を手伝いその代わりに作物を貰い
空腹から逃れる為だ
学童疎開に行く少女達の荷物の中に
お手玉が有った
親が見知らぬ土地で寂しい思いを
しないように持たせてくれた物
だが少女達がお手玉で遊ぶ事は無かった
日中は勉強と云う触れ込みだったが
勉強する時間など最初から与えられず
お世話になっている農家の掃除洗濯
水汲みや薪割り等 体のいい小間使だ
女子生徒に自分の洗濯まで
押し付ける教師もいた
重労働で疲れ 満足な食事をさせて
貰えない少女達はお手玉で遊ぶのを
望んでいたが 教師達は渡さない
学童疎開の初日に取り上げ隠した
取り上げたお手玉は教師達の食料に
なっていた
お手玉の中の大豆や小豆を生徒が
寝静まった夜中に煮て食べていたのだ
学童疎開の少女達の中には
裕福な家庭の子もいれば
貧しい子も居る
教師は裕福な家庭の子に 親にまた
お手玉を送って寄越せと手紙を
書かせ 何も知らない親は送り続ける
送られた筈のお手玉をくださいと
少女が懇願しても渡さない
あまっさえ貧しい少女が盗んだと
嘘をつく
貧しい少女は嘘つきのレッテルを
貼られ学童疎開が終わる日まで
虐め抜かれるのだ
私の母も虐め抜かれた少女だった。