【建御雷神と天鳥船神】

 

今日の一枚は、『古事記』の国譲りの場面から、建御雷神(タケミカヅチノカミ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ)を描きました。


燃えるような赤と黄金色の空を背景に、白く大きな天鳥船が風を切って進んでいきます。


その背に乗る建御雷神。


二柱は、いったいどのような使命を帯びて出雲へ向かったのでしょうか。


建御雷神 ― 使命を果たす力


高天原の天照大御神と高木神は、葦原中国を天照大御神の御子が治めるべき国と考え、使者を送ります。


しかし、先に遣わされた神々は使命を果たせませんでした。


そこで白羽の矢が立ったのが、建御雷神です。


建御雷神は出雲の伊那佐の小浜に降り立ち、大国主神に、高天原の意向を伝え、国を譲る意思を問うの


建御雷神の使命は、高天原の命を受け、国譲りを実現することでした。


天鳥船神 ― 必要な人を迎えに行く働き


天鳥船神は、伊邪那岐神と伊邪那美神の神生みに登場する鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)です。


国譲りでは、建御雷神とともに出雲へ遣わされます。


大国主神は、国を譲るかどうかについて、息子の事代主神に尋ねてほしいと答えます。


ところが事代主神は、美保の岬で鳥を捕り、魚を釣っていました。


そこで建御雷神は、天鳥船神を遣わして事代主神を呼び寄せます。


事代主神は国譲りへの同意を表明しました。


天鳥船神は、単なる乗り物としてではなく、国譲りの意思を確認するために必要な相手を迎える役目を担っているのです。


天鳥船神の使命は、離れた場所にいる事代主神を迎え、国譲りの話を進めることでした。


大きな使命を果たすためには、建御雷神のような決断と行動の力が必要です。


しかし、自分一人の力だけでは物事は成し遂げられません。


天鳥船神のように、必要な人を迎え、人と人をつなぎ、使命を支える働きも欠かせないのです。


前に立って使命を遂行する人。


その使命が果たされるよう、人を運び、つなぐ人。


役割は違っても、それぞれが大切な働きを担っています。


私たちの人生も同じではないでしょうか。


自分に与えられた役割を知り、他の人の役割を尊重し、力を合わせて一つのことを成し遂げていく。


それぞれの働きが結び合わされて、大きな物事が動いていくのです。


違う役割は、価値の違いではありません。


今日の絵には、そんな二柱の神様の働きを込めました。


燃えるような天の光を背に、白い天鳥船が進んでいく。


それぞれの使命を胸に、二柱の神様は出雲へと向かいます。


全国古事記塾主宰 

今野華都子絵と文記す




アクリル絵の具

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#今野華都子が描いた

最近、よく聞かれます。


「記事につけている絵は、先生が描いているんですか?」

「毎日移動しているのに、いつ描くんですか?」と。


答えは、


「すべて自分の手描きで移動中に描いています」


移動中パソコンを出してお仕事をしている方がいますよね。

私にとっては、あれと同じ感覚です。


私はミニスケッチブックとダーマトグラフを一本出す。


ホテルの小さな机で描くこともあります。 


そして、一枚描き終わったら、余った絵の具を次の白いページに塗っておきます。


何の絵になるかなんて、決まっていなくていいんです。


赤が残ったら赤を。

青が残ったら青を。

筆に残った色を、そのまま次のページへ塗っていく。


そうやって、次の準備をほんの少ししておく。


すると、後からその色を眺めているうちに、


「あ、ここに顔がある」

「これは風の神様になるかもしれない」


と思いがけないものが見えてきたものを後からなぞります。


最初から答えを決めなくてもいい。


少しだけ次の準備をしておくと、そこから思いもしなかったものが生まれてくる。


記事に載せている「絵」は、一枚一枚、私自身が手を動かして描いたものです。


時間があるから描くのではなく、描きたいものを今描く。


そして次に何が生まれるかわからない白いページに、

今日も少しだけ色を残しておきます。


全国古事記塾主宰 

今野華都子絵と文記す

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【今日も愛を受け取りながら❤️】


今月の全国古事記塾行脚も、終わりに近づいてきました。


行く先々でいただくのは、皆さんの温かい真心です。


朝早く、駅まで手作りのお弁当を届けてくださる人。


私の好物をいっぱい詰め込んだおむすびを作ってくださる人。


旬の果物や、ご自宅で採れたもの、心のこもった手作りの品々が、いつの間にか机いっぱいに並びます。


その一つひとつに、どれほどの愛情が込められていることでしょう。


そして何より嬉しいのは、古事記塾の日を楽しみに、皆さんが集まってくださることです。


私は、「古事記に学ぶ日本人の生き方」を古事記から読み解いてお伝えするために全国を歩いているのですが、振り返ってみれば、私がお伝えすることよりも、何倍もの愛を皆さんから受け取っているのです。


安らかなお顔。


幸せに満ちたお顔。


たくさんの苦難を乗り越えてこられたお顔。


一人ひとりのお顔を見ていると、出会ってからそれぞれが歩んでこられた時間と人生の尊さを感じます。


これからも、きっといろいろなことがあるでしょう。


それでも、みんなで励まし合い、支え合い、笑顔で生きていきましょうね。


八百万の神々が、それぞれ違う働きを持ちながら、互いに関わり合って世界を成り立たせているように、私たちもまた、それぞれの命を働かせながら、誰かを支え、誰かに支えられて生きています。


皆さんの真心に触れるたびに、私自身がどれほど多くの方々に生かされているのかを思い知らされます。


こんなにも素敵な仲間たちと出会えたこと。


共に学び、笑い、喜び合えること。


そのすべてが、私の人生の宝物です。


私が皆さんに何かをお渡ししているつもりで、実は、皆さんから生きる喜びをいただいているのですね。


感謝が溢れて、溢れて、尽きません。


いつも、本当にありがとうございます。


これからも、共に笑顔で生きていきましょう。💖🌸🙏






























【八百万の神々が教えてくれること】


八百万の神々は、みんな同じ役割を持っているわけではありません。


火の神には火の働きがあり、

水の神には水の働きがあり、

風の神には風の働きがあります。


それぞれに異なる性質があり、それぞれに大切な受け持ちがあります。


けれども、どんなに素晴らしい働きも、それぞれが独立しているだけでは、世界の営みは成り立ちません。


互いに関わり、支え合い、それぞれの務めを果たすことで、命を生かし合う大きな働きが生まれるのです。


これは、私たち人間も同じです。


誰かと同じになる必要はありません。

あなたには、あなたにしかできない受け持ちがあります。


大切なのは、自分の役割を知るだけで終わらせないこと。


受け持ちを、行動に移すことです。


人を思いやる心があるなら、その思いを行動にする。


誰かを喜ばせたいなら、目の前の人を笑顔にする。


自分にできることを、今日という一日の中で働かせていく。


その小さな行動によって、

わたしの命の働きは、この世界に姿を現します。


そして、誰かの命と響き合い、結ばれていくのです。


私たちの「いのち」は、自分ひとりの中で完結するものではありません。


誰かの喜びにつながり、誰かの支えとなり、世界の大きないのちの営みの一部となっていく。


八百万の神々が教えてくれるのは、

違う命が違うまま、共に生きることの尊さです。


そこから、新しい「むすひ」が生まれていくのです。🌸


全国古事記塾主宰

今野華都子絵と文記す


風の神「シナツヒコ」





「名を立てる」とは、本当の自分を生きること


万葉集に、山上憶良が病に伏したときに詠んだ歌があります。


士『おのこ)やも

空しかるべき

萬代(よろずよ)に

語り続ぐべき

名は立たずして


自分の人生の終わりを意識した憶良は、


「人は、この世に生きた本当の証を残さず、空しく終わってよいのだろうか」


と、自らに問いかけたのでしょう。


ここに出てくる「名」を、単なる名声や評判ではなく、「真名(まな)」として考えてみると、とても深い意味が見えてきます。


真名とは、親からつけてもらった名前だけではありません。


自分に与えられたいのちを、どう生きたのか。

何を大切にしたのか。

そして、何を人に手渡していったのか。


その人が生きることによって、少しずつ明らかになっていく「本当の姿」。それが、その人の真名なのではないでしょうか。


これは子どもを見るときにも同じです。


「この子はこういう子」

「この子は弱い」

「この子にはできない」


そう決めた瞬間、私たちはその子に一つの「仮名」をつけてしまいます。


けれど、その子の真名は、そんな言葉の中には収まりません。


まだ見えていない力がある。

まだ現れていない姿がある。

これから開いていく、その子だけのいのちがある。


だから、「真名を見る」とは、人を評価して決めつけることではなく、その人の中にある本来のいのちを信じて見ることなのだと思います。


そして「教える」ということも、知識をたくさん渡すことだけではないのでしょう。


その人をこちらの思い通りの姿にするのではなく、その人自身が自分の本質に出会い、自分の真名を生きていける場所へ送り出すこと。


山上憶良の「名は立たずして」という言葉は、千年以上の時を越えて、私たちにも問いかけているように感じます。


この世でどんな「名」を残すのか。


それは有名になることではなく、


「私は私のいのちを、私として生きた」


その生きた姿そのものが、表現者として萬代に語り継がれる「真名」なのかもしれません。


全国古事記塾主宰 今野華都子記す


9/14八戸古事記塾の学びよりシェア








昌子ちゃんが栗の渋皮煮を作ってきてくれました。

美味しかった〜❣️



私たちは、よかれと思って、

「こうした方がいいよ」

「もっとこうなったら」

と、人を変えようとしてしまいます。


けれど、本当に必要なのは、その人を変えることではなく、


その人の中にすでにあるものを信じること


なのかもしれません。


不思議なことに、変えようとしない場所で、人は生き生きと輝き始めるのです。


気功師の中健次郎先生にご紹介いただいたyoutubeです。






ぜひご覧ください。




【弥都波能売神(みつはのめのかみ)水はいのちをめぐる 


火の神、迦具土神を生み、

傷つき苦しむ伊邪那美命から

水の女神・弥都波能売神は成りました。


火のあとに、水が生まれる。

苦しみの中から、いのちを潤すものが生まれる。


水は、一ところに留まりません。


湧き、流れ、土を潤し、

草木を育て、人のいのちを養い、やがて海へと還っていきます。


水は自分のためには流れない。

ただ惜しみなく、次のいのちへと流れていく。


弥都波能売神(みつはのめのかみ)

その姿は、絶えることのない

「いのちの巡り」そのものなのかもしれません。


全国古事記塾主宰

今野華都子絵と文記す


クレパスとアクリル絵の具





【火の神・迦具土神】


赤や橙色を重ねているうちに、炎の流れの中から、こちらを見つめる眼差しが現れました。火の神、迦具土神(かぐつちのかみ)です。


『古事記』では、伊邪那美命が火の神を産んだことで身を焼かれ、神避られます。


悲しんだ伊邪那岐命は迦具土神を斬りますが、その血や身体から、さらに多くの神々が生まれました。


火の神の誕生は、痛みを伴いながらも、次の神々の誕生へとつながっていきます。


人類にとっても、火を見いだし、扱えるようになったことは大きな転機でした。


火は寒さをしのぐ温もりとなり、暗闇を照らし、食べ物を調理する力となりました。


一方で、扱いを誤れば、いのちを奪う力にもなります。


豊かな働きと、全てを焼き尽くす激しさ。その両方を持つ火。


火を大切に使うことは、その力を知り、敬意をもって向き合うことに他なりません。


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す


「かぐつちの神」クレパスと色鉛筆






木の神様〜


『古事記』に「木の神」として登場するのが、久久能智神(ククノチノカミ)です。


「クク」は、木が伸びていくこと。「チ」は、いのちの力を表すともいわれます。大地に根を張り、空へ向かって成長する、木そのものの生命力を象徴する神様です。


また、大屋毘古神(オオヤビコノカミ)は、木の国である紀伊国に鎮座し、八十神に追われた大国主命をかくまい、根の堅州国へ逃がしました。

木や森を守る神、木を使って家や船を造る知恵を授ける神、そして人のいのちを守り、次の道へと導く神としても。



そして、大山津見神(オオヤマツミノカミ)は、山全体をつかさどる神様です。


山には木々が茂り、水が生まれ、鳥や獣、虫たちが暮らしています。大山津見神は、一本の木だけでなく、そこに結ばれている山や森の大きないのちを守る神様なのでしょう。


木の神様といっても、その働きは一つではありません。


一本の木に宿るいのち。

森を守り、人を助ける働き。

山全体を包み、あらゆるいのちを育てる力。


それぞれに役割があり、それぞれのお名前があります。


木の幹に不思議なお顔や姿を見つけたとき、それをただの模様と思うこともできます。しかし昔の人は、そこに神様の気配を感じ、手を合わせたのではないでしょうか。


どのお名前の神様かを決めること以上に、


「この木も生きている」

「ここにも神様の働きがある」


と感じられる心こそ、日本人が大切にしてきた、八百万の神々を敬う心なのだと思います。


全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す



この絵は茶色の持ち合わせてがなかったのでコーヒーの液と粒を袋から出して描きました。
















雨の朝、大國魂神社へ


多摩古事記塾の朝、府中の「大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)」に参拝しました。


雨に濡れた石畳の参道は、拝殿へ向かってまっすぐに続いています。

傘を差しながら、出社前に手を合わせていく方の姿もありました。


神社への参拝が、特別な日の行事ではなく、日々の暮らしの中に息づいている。

その光景に、日本人が大切にしてきた祈りの姿を感じます。


街の道路際には、注連縄を巻いた大きな御神木が立っています。

長い年月、行き交う人々を見守ってきたのでしょう。太い根は大地をしっかりと抱き、今もなお、力強く命をつないでいます。


境内の宮乃咩神社には、天鈿女命(アメノウズメノミコト)が祀られています。

そこには底の抜けた柄杓が、数え切れないほど奉納されていました。


水が底につかえず、すっと抜けていくように、お産も滞りなく軽やかに進みますように🙏🙏🙏

柄には「安産祈願」「元気な赤ちゃんが生まれますように」と、一人ひとりの切なる願いが記されています。


大國魂神社の主祭神は、

大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)。


出雲大社に祀られる大国主神と同じ神様とされ、古く武蔵国を開き、人々に衣食住の道を教え、医療やまじないなど、生きていくための知恵を授けた神様です。


また、武蔵国の一之宮から六之宮までの神々をはじめ、国内の神々がお祀りされています。


遠く離れたそれぞれの神社を、一社ずつ巡らなくても、この地で武蔵国の神々にお参りすることができる。

そのため大國魂神社は、武蔵国全体の神々をお祀りする「総社」となり、「六所宮」とも呼ばれてきました


大国主神は、人と人を結び、人と土地を結び、それぞれの力を生かしながら国をつくられた神様です。


今日の多摩古事記塾もまた、集った皆さまが互いの違いを認め、それぞれの役目を結び合う一日となりますように。


雨に洗われた静かな境内で、そんなことを思った朝でした。


全国古事記塾主宰

今野華都子記す